今月の人

若い人達にも琉舞の楽しさを伝えたい

247. 呉屋 かなめさん(37)

呉屋 かなめさん

今月紹介する呉屋かなめさんは、五歳から琉球舞踊を始め、二十四歳で教師免許を取得し、道場を開く。古典舞踊や創作舞踊を教えるかたわら、同年代の流派を超えた仲間たちとグループを結成し、琉舞の幅を広げるため歌舞劇にも挑戦し、海外でも公演を行って人気を博している。今月はそんな呉屋さんに、琉舞の楽しさや今後の目標について話を聞いた。

呉屋さんが琉球舞踊を始めたのは、呉屋さんの父親が琉球舞踊藤の会会主新崎恵子氏の芸に惚れて、呉屋さんを入門させたことがきっかけだ。その当時五歳だった呉屋さんは、それから琉舞の魅力にはまり、以来三十二年間踊り続けている。

普通、小さな子供は稽古よりも友達との遊びの時間や他の事に気を取られそうだが、呉屋さんは踊るのが三度の食事よりも好きで、学校を休んでも踊りの稽古は休まないほど自分から進んで稽古していた。小学校三年生の頃には、将来の夢は?と尋ねられると「琉舞の先生」と答えていたそうだ。そんな琉舞が大好きな呉屋さんは、十五歳の時に沖縄タイムス芸術選賞新人賞を受賞、十七歳の時に同じく優秀賞、十九歳の時に最高賞、二十二歳の時にグランプリを受賞する。二十四歳で師匠より教師免許を授与され、本市池原に「琉球舞踊藤の会・呉屋かなめ練場」を開き、子供から大人まで幅広い年齢層を対象に古典舞踊や創作舞踊を教えている。三十二歳の時に沖縄タイムス芸術選賞奨励賞を受賞し、平成二十一年には、師匠より師範免許も授与された。

教師として舞踊を教えるだけではなく、平成十八年に同年代の流派を超えた仲間たちと『歌たい舞うたい』というグループを結成し、琉舞の幅を広げるために芝居や歌舞劇にも挑戦している。琉舞だけではなく、創作舞踊の楽しさや、表現の楽しさを見ている人にも感じて欲しいと思っている。また、芸能の力で観光客誘致を目指す県の事業「シップ・オブ・ザ・リュウキュウ~世界を駆け巡る琉球文化船」にも参加し、北京やイギリスなど世界十四カ所で公演を行っている。八月にスコットランドのエディンバラで行われた世界最大の芸術祭でも公演を行い、世界各国からさまざまな演劇が集まる中でも沖縄の文化は負けていないと実感したそうだ。

沖縄の結婚式の余興で琉舞は定番であったが、最近では少なくなってきてしまっている。そんな琉舞離れがある今、子供や若い人達にも琉舞の楽しさや、沖縄の文化の良さを知ってもらい、うちな~んちゅに生まれて良かったと感じて欲しいと考えている。

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

市史編集担当/TEL:929-4128
ヒストリート、ヒストリートII/TEL:929-2922

場所は現在のゴヤケーキ付近。外国人も呼び込もうと横文字の横断幕も掲げられた。
▲場所は現在のゴヤケーキ付近。外国人も呼び込もうと横文字の横断幕も掲げられた。

5月から続く「復帰40年特別企画展」もいよいよ残り一カ月です。

1950年代後半、コザ市は基地経済の恩恵を受け繁栄していた反面、消費都市の形態をたどっており、堅実な路線への転換が望まれていました。そのために産業振興と各種企業の育成強化を推進する機運が高まっていました。さらに市は「観光文化都市建設」を目指しており、商業・文化の高揚を図るとともに我がまちの姿を広く内外に紹介しようと、市・市商工会・市婦人会の共催による展示即売会を開催しました。

写真は「コザ市展示即売会場」入口の様子で、左奥の建物が会場となった琉球生命ビル(現日本生命育成センター)。

会場には商工品、農産品、手工芸品などが出品され、市民だけではなく、那覇や石川、読谷などからも多くの人々が押し寄せたようです。質と技術面に力を入れた出品物は参観者の目をひき、開催期間中の1958年2月1~3日に約2万人の客が訪れ、金額にして4万6980B円(日本円で14万円余)の売り上げを記録しました。

企画展では左の写真だけではなく、現在の様子を撮った写真も展示しています。その移り変わりを見比べてみては如何ですか?