今月の人

人を育てるラグビーの普及を目指す

283/安村 光滋(みつしげ)さん(49)

 ラグビーワールドカップ2015が、今年の9月から10月に、イングランドで行われ、日本代表チームが、世界に通用することを証明して話題となった。4年後の2019年、同大会は日本で開催される。今回は、沖縄県ラグビー協会理事長の安村光滋さんにラグビーの魅力について話を聞いてみた。

安村 光滋さん

 安村光滋さんは、市越来で生まれ育ち、小中学校の時には野球部に所属し、日々練習に励み、中学校卒業後は、県立コザ高校へ進学した。当時は、体が小さいというコンプレックスがあり、自分に自信が持てず、自らを変えたいとの想いで、ラグビー部に入部した。当時のコザ高校は、指導者と選手に恵まれたこともあり、安村さんが在学中の3年間連続して全国高等学校フットボール大会に出場した。また、その他にも九州代表選手や、高校日本代表選手に選ばれ、韓国やウェールズへの国外遠征に参加した。その後、筑波大学へ進学してからもラグビーを続け、社会人となってからは、母校であるコザ高校や石川高校でラグビー部の指導にあたり、現在は沖縄県ラグビー協会の理事長として、運営を担っている。
 ラグビーの正式名称は、ラグビーフットボールで、1チーム15人で構成される。楕円形のボールを奪い合って、相手陣のインゴールまで運んでトライしたり、H型のポール上部に蹴り入れたりして得点を競うスポーツだ。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、7人制のラグビーが、100年ぶりに正式種目に決まっている。また、ラグビーと言っても、両腰にタグと呼ばれる2本の紐を付け、タックルの代わりにタグを奪い、相手の動きを止めるタグラグビーや、日本発祥のビーチラグビーなど、様々な種類があり、レクレーションや教材として、こどもから大人まで誰でも楽しめる。
 安村さんは、ラグビーでのタックルを手で触る「タッチ」に置き換えた、タッチラグビーの日本代表40歳の部に選出され、今年4月から5月にかけてオーストラリアで開催された、第8回ワールドカップに出場した。安村さんは「今後は、2017年にニュージーランドで開催される中高年齢者の国際総合競技大会ワールドマスターズゲームスの日本代表選手になることを目標に、日々トレーニングをしています」と意気込んでいる。
 安村さんに、これからの沖縄のラグビーについて尋ねると「ラグビーは、自由度が高く、シンプルなのが魅力であることもさることながら、試合が終われば全員が仲間という考えのノーサイド精神や、One for all,all for one(1人はみんなのために、みんなは1人のために)の精神があり、情操教育を学ぶには良いスポーツで、沖縄での競技人口をもっと増やしたい」と、思いを語った。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 はや年末。年の明け暮れに向けて何かとせわしない時期です。しかし今月は、特に子どもたちにとって最大のお楽しみ、クリスマスがやってきます。
 ヒストリートⅡで開催中の企画展「コザ孤児院―戦世の子どもたち―」にかかわると、1947年ごろからコザ孤児院でもクリスマス行事が行われていたことが新聞記事にみえます。米軍部隊や米婦人会の催すクリスマスパーティーに戦災孤児らが招待されたというものです。
 戦災孤児への支援は、身寄り探しなどをはじめ終戦直後から始まっており、一般市民や越来村役場職員から物品・金銭の寄付が早い段階で寄せられています。
 また、今回の企画展に際しては、コザ孤児院や養老院への「ララ物資」提供に関する英文資料(1947年)が新たに見つかりました。
 戦場で凄惨な体験をし、幼い身で過酷な人生をたどることとなった戦災孤児も、このような救済の手にひとときの安らぎや嬉しさを得たのではないでしょうか。
 企画展「コザ孤児院―戦世の子どもたち―」は今月27日(日)までの開催です。終戦から70年目の年の暮れ、改めて沖縄戦とそれがもたらした影響について考えてみませんか。
 平和で明るい来年を迎えるために。

1947年ごろのコザ孤児院。ララ物資より暖かそうな服やお人形が届いた!【写真:沖縄県公文書館 所蔵】
1947年ごろのコザ孤児院。ララ物資より暖かそうな服やお人形が届いた!
【写真:沖縄県公文書館 所蔵】
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