今月の人

頑張っている大人を見てこども達も成長して欲しい

254 平良 須賀子 さん(たいら すがこ)さん(56)

 比謝川清掃や「小さな親切運動」作文コンクールの開催など、より良いまち、沖縄市にするためにさまざまな活動を行っている沖縄市民憲章推進協議会。今月はその新会長に就任した平良須賀子さんを紹介する。平良さんは、越来小学校地域支援コーディネーターと しても活躍し、こども達に越来地域の歴史劇や獅子舞の指導なども行っている。

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 平良さんは、以前から大変憧れていた越来に、縁があり嫁いできた。越来は「越来城」を有し、歴代の琉球国王(尚泰久王(しょうたいきゅうおう)/尚宣威王(しょうせんいおう)が越来王子として過ごし、今も川畑家の白椿やウスデーク、尚宣威王の墓などが残るなど琉球の歴史上とても由緒ある地域である。
 長女が小学校に入学すると同時にPTA活動に参加し、ウスデークや獅子舞の指導など地域活動にも積極的に参加した。
 平良さんは、幼い頃より琉球舞踊を習い、国内外の公演に出演し、沖縄文化を広く紹介するなど、琉球舞踊の発展、向上に努めてきた。その琉球舞踊を通して、自分たちの住んでいる地域や沖縄の歴史、文化の素晴らしさをこども達に知ってもらおうと、越来城を舞台にした歴史劇「越来城と白椿」の脚本を書き上げた。劇は全編「しまくとぅば」で演じられ、先生方と協力して児童を指導し、学芸会で上演してきた。父兄が中心となって衣装や小道具も再現し、現在は越来小学校資料館で展示されている。これまでは6年生を中心に上演されてきたが、今は越来地域のこども達が出演し、活動の幅も広げ、今年は今帰仁村でも上演した。
 平良さんはこの劇を通して、こども達が沖縄の文化や地域を知るきっかけとなり、地域に対して親しみや愛情を持ち、心も豊かになり、いろいろな事に意欲的に取り組むようになってくれることを願っている。
 平良さんが新会長に就任した沖縄市民憲章推進協議会は、「わたしたちは、子どもを愛し、伸びゆくまちをつくりましょう」といった五つの憲章(柱)を基に沖縄市民みんなが生活しやすいよう環境を整え、より良いまちづくりを目指して日々様々な活動を行っている。「自分の地域をきれいにしよう」という小さな思いも、たくさん集まることで沖縄市全体がきれいになる。
大人が社会のために一生懸命頑張って、より良いまちを作っている姿を見せることで、こども達も学び成長していくのだ。「将来の大事な資源であるこども達のためにも、大人が他人を敬い、尊び、社会のために協力し合っていかなければならない」と力強く語った。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 「民謡の神様」と称された嘉手苅林昌さんの企画展「嘉手苅林昌の世界」を、去る6月7日からヒストリートUで開催中。
 写真、カセット、CD、レコード、そして彼を知る方々の証言などを通して、戦後の沖縄の民謡界を牽引(けんいん)してきた嘉手苅さんを紹介しているが、その展示品の数あるレコードの中でもひときわ目を引くのが、「松(まちゃー)やっちー」。嘉手苅さん本人がタオルで頬被(ぼおかぶ)りをし、農作業をしているような様相で笑顔が印象的なジャケットだ。その曲の作詞は「ちんぬくじゅうしい」や「ゆうなの花」でよく知られている普久原恒勇(ふくはらつねお)さんの弟、故・朝比呂志(あさひろし)さんである。その歌詞には安慶田(あぎだ)ぬ前ぬ田ぶく=A犬(いん)ぬ目(み)ぬヤードゥイ小 (ぐわー)≠ネど本市の地名が出てくることもあって、とくに市民にとっては親しみがもてる1曲であろう。
 さて、数年前にある方から1950年代の室川のことを聞かせていただいた。当時はテレビもなく、夜は車の往来もほとんどないので、各家は窓を開け、夜風にあたって夜を過ごしていた。すると、どこからともなく聞こえてくる三線の音色・・・ それは当時、近所に住んでいた嘉手苅さんの弾く三線だったという。戦後の復興は進んでいたが、戦争で受けた 傷がまだ癒(い)えないこころにその音が染(し)みいるようで、慰(なぐさ)められたとのことだ。
 戦後、沖縄の人々に愛され、生きる支えとなった「民謡」はこれからも世代を越えて受け継がれていくであろう。企画展は7月28日までとなっています。市民の皆様の来室をお待ちしています。

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EP盤レコードジャケット

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