今月の人

沖縄的で身近な笑いと優しさを

240. 桃原 毅(とうばる つよし・ももココロ)さん(44)

桃原 毅(とうばる つよし・ももココロ)さん

 おっちょこちょいのお母さんにお酒大好きお父さん、ウーマクーな男の子に頭の大きい優等生のお兄ちゃん。琉球新報で連載されている四コマ漫画「がじゅまるファミリー」は、おじいちゃんおばあちゃんも加わった総勢八人家族の日常が楽しく描かれている。沖縄の方言を使った話や、クスッと笑える話など多様な内容で、毎日読者を楽しませている。今月は作者のももココロさんこと桃原毅さんに話を聞いた。

四コマ漫画

 琉球新報で連載されている「がじゅまるファミリー」は連載も九年目を迎え、単行本も四冊発行されている人気四コマ漫画だ。沖縄の三世代八人家族のほのぼのとした日常が描かれている。方言や、沖縄独自の行事やイベントなどが盛り込まれ、うちなーんちゅなら誰もが親近感がわく内容なのも人気の理由の一つだ。
 作者のももココロさんこと桃原毅さんが四コマ漫画を描き始めたのは、約十年前。当時、求職中だった桃原さんは、自身が中学生の時に描いていた四コマ漫画を見つけ、自分が漫画家を目指していたことを思い出す。一年間の期限をつけ、あこがれの職業につくため修行の時間を過ごす。その時に読んだ新聞の四コマ漫画で、八重岳では桜が咲いているのに漫画の中では雪が降っていることに違和感を感じる。当時、新聞の四コマ漫画は県外の漫画家が描いていたのだ。桃原さんは、作品を作り新聞社に売り込み、見事、琉球新報で連載がスタートすることとなった。そして、今では連載回数が三千回目前という長寿作品となった。
 桃原さんの漫画には、沖縄らしさと優しさが詰まっている。おじいとおばあが茶柱が立ったお茶をお互いに相手に飲ませてあげようと交換するという話があったりして、読む人の気持ちを和ませる。桃原さんは読者に、つい忘れがちな優しさを感じて欲しいとの気持ちで作品を作っているそうだ。また、文化系の子ども達にも喜んでもらいたいと積極的に漫画教室を開催したり、小学校で職業講話も行い、漫画の楽しさを知って、漫画家を目指す子ども達が増えていけばいいと願っている。
 今回、沖縄市の子ども達のために沖縄市の四コマ漫画を描いてくれました。

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

市史編集担当/939-1212(内線2273)
ヒストリート、ヒストリートU/929-2922

ドル生活に慣れた人々は円に替わって、売る方も買う方も混乱した。
▲ドル生活に慣れた人々は円に替わって、売る方も買う方も混乱した。

 今月15日より、ヒストリートUで復帰40年特別企画展「アメリカ世からヤマトゥヌ世へ」の第1弾を開催。報道写真家・石川文洋氏の復帰関係写真を中心に展開し、20日の「戦後史を語る会」ではシンガーソングライターの佐渡山豊さんをお招きし、復帰について語っていただく予定です。
 さて、復帰で庶民に最大の影響を与えたのは通貨交換でした。1972年5月2日、日本円で540億円分が東京から沖縄に陸揚げされた後、現金は沖縄各地の通貨交換所へと移送(本市には15カ所)。5月15日の復帰と同時に沖縄は一斉にドルから円へと切り替えられましたが、通貨交換の期間はこの2つの通貨が流通し、市場や商店では店主と客が金銭のやりとりで、まごつく様子が多く見られました。
 通貨交換は20日で終わり沖縄は円経済圏へと組み込まれましたが、「基地の街」コザでは米兵相手のバー、土産店などの業者が多く、市内のセンター通りやゲート通りでは20日以降も依然として円とドルの2本立て流通が続き、市内の各銀行窓口にはドルと円の交換者が絶えませんでした。
 しかし、復帰後の円高ドル安などの影響で、以前は賑やかさを見せていたコザの歓楽街は米兵の客足がにぶり、売り上げは激減。復帰後も外国人相手の商売を続けていた「沖縄Aサイン連合会」は翌年解散を余儀なくされ、85年にはセンター通りも邦人を相手にした「中央パークアベニュー」へと生まれ変わりました。