<< [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18]  >> 
◆ 広報おきなわ7月号(No.385)

今月の人
会員みんなが主人公
力を合わせて、協会の発展へ
<171>中根  聖さん(75)
昭和三十年に発足したコザ市文化協会は四十九年のコザ市と美里村の合併により沖縄市文化協会と改名。昨年、五十周年を迎えた。市民の文化の拠点、多くの会員を抱える協会だが、その協会の六代目会長に就任したのが中根さん。市民憲章推進協議会の会長も歴任した経験があり、その手腕は誰もが認めるところだ。五月に選任されたばかりの新会長に、今後の取り組みや決意、協会にかける思いなどを聞いてみた。

 沖縄市文化協会はコザ市文化協会の前身で、文化協会としては県内でも先駆けの組織。現在は書道部や茶華道部など二十六部からなる会員千人(推定)の大所帯。

 市の文化の発信地、それをまとめ躍進していくのは難儀な業のようにも見えるがどうだろう。新会長としての意気込みを聞いてみた「意気込みもなにも、副会長や専務理事たちがしっかりしているだろう。ましてや基礎ががっちりした組織であり、県内外どこへだしても自慢できるし、それに、先輩たちが築き上げた立派な歴史がある、僕はそのレールに乗るだけだよ」と涼しい顔で話した。

 中根新会長は昭和五年生まれで越来国民学校の最後の上級生。身長は一メートル七〇、堂々とした体格である。いや、体格だけではない、人一倍大きな声、おおらかな性格、どこにいても目立つ存在である。昭和二十四年に軍のレストラン、コザ倉庫、県内初のコザ英語学校の一期卒業生。二十六年に諸見小学校へ赴任

その後、本土へ上京して大学へ二十七歳の時、コザ高校へ就任中部農林、普天間、名護高校など七校を歴任、県立沖縄ろう学校校長で勧奨退職を迎える。しかし、退職後も忙しさは続く。この人にはもう一つの顔があった。教員在職中に始めた書道である。紙面が少ないので端折って紹介する。県高等学校書道研究会会長、県書窓会会長、県書道部門審査員、県書道美術振興会副会長等の要職を務め、現在は教職員時代の仲間らが集まった「時々展」の二代目会長を務めていた。文化協会へ話しはもどる、各部会の活動はもちろん、発表会も盛んに行っている。また、市文化祭や古典芸能などの舞台発表事業も行っている。 書道は本職、現在は写真が趣味という中根さん親しいメンバーが集う「斜光会」に所属している。座右の銘は「まちの愛好者たれ」肩ひじはらずに、普段着感覚で周りに接することという。 取材中、この人の意外な趣味を発見した。ラン栽培と釣り、「僕の口ぐせは趣味を持てということ、趣味はいつか役に立つんだよ」と云う。 気さくに話せる人、人なつこい目、人柄、そして他人を引き寄せる力、どれもがこの人の自然体な生き方からきている気がする。その形で中根会長は文化と遊び、協会と心地よくつき合っていく。
 
戦後文化シアター
今月のヒストリート
Aサインのコーナー
 ヒストリートの展示の中で、最も「コザ」を感じさせるAサインのコーナー。

 Aサインとは復帰前、飲食店・ホテル等への米兵の入店を認めたAPPROVED(許可済み)の頭文字Aを大書した許可証のことで一九五三年に初めて発行され、店の内外に表示されました。基地の街コザでは、「Aサイン景気のよい時は市場や町の一般景気を潤す」といわれた程、関わりが深いものでしたが、Aサインを取得するには米軍による衛生・施設面での厳しい検査をパスする必要がありました。

 同コーナーではバーのカウンターを中心に米兵が愛飲した数々の酒、天井からつり下げられたドル紙幣いっぱいのカゴ、戦地へ赴く兵士が壁一面に貼ったサイン入り一ドル紙幣等、ベトナム景気の頃のAサインバーの雰囲気を再現しています。そして、コーナーの主役たるAサインは米軍発行のものと沖縄Aサイン連合会発行のものが展示されており、Aサイン制度の変遷を知ることができます。
市史編集担当/TEL939-1212(内線2733)
ヒストリート/TEL929-2922
<< [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18]  >>