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◆ 広報おきなわ10月号(No.376)

特集No3
● 被爆地ナガサキからの声を届ける ●
平和を願う心、命の大切さを世界中に伝えよう
平和大使15人が戦争の恐ろしさ、平和の大切さ、命の尊さを訴える
平和大使15人の感想を紹介する
市内の中学校の生徒から男女各1人づつの16人(今年は15人)の平和大使の皆さんが長崎市へ派遣された。平和の尊さや戦争の悲惨さを学んできた。

生徒達が平和学習、平和交流を通して感じたことが感想文にまとめられた。その中から各自の感想を抜粋して紹介する。
越来中学校
一年生
高江洲 良
被爆遺跡巡りをしました。原爆落下中心地の碑や、人類不戦の碑など、数多くの被爆遺跡を見て回りました。僕が驚いたのは、今までに二千回以上も核実験が行われているという事実でした。しかし、次第に核兵器の数は少なくなってきています。これも世界の人々が核兵器廃絶を必死に訴えてきたからでしょう。近い将来、核兵器がこの世から消えて欲しいと僕も思いました。
美東中学校
一年生
上田 光貴
永井博士の生涯について知る事が出来ました。「確かに核兵器はいけないが、アメリカを憎むのではなく、愛し愛し愛し続けよう、それこそが真の平和だ」というものすごく広い心の持ち主である事を知り、大変感動しました。そんな神様のような考え方は、僕には無理だと思います。改めて平和の難しさを感じさせられました。地球に住む人全員が笑って「幸せ」と言えるような世界にしていきたいです。
美東中学校
一年生
諸見里 沙紀
私には課題がありました。それは「平和とは何か自分の答えを出すことです」。しかしその答えが見つかりませんでした。被爆者が「平和」それは「人の心の痛みが分かる心を持つ事」そう言っていました。今、私なりに出せる答えは、「世界の人々が自分で平和とはどういうことなのか、それについて答えを出した時、平和という輝きが地球に光るのではないでしょうか」ということです。
沖縄東中学校
二年生
高良 優奈
恵の丘長崎原爆ホームへ行きました。ここでは九十二歳の後田さんの体験講話を聞きました。後田さんは涙ながらに私達に語ってくれました。私たちはその涙を無駄にせず語り継いでいかなければならない、と改めて感じました。この長崎で学んだ事を私は生かし、まずクラスの人達に伝えようと思います。私は一分でも、一瞬でも早く世界が平和になれるように努力していきたいと思います。
沖縄東中学校
二年生
宮城  将
「平和」と言う言葉。平和って何?と聞けば、戦争をやっていない世界という人がとても多いと思います。けれど真の平和というのは、今この文章を読む。文字を書く。喋る。笑う。という、ごく普通の生活をしている。これが真の平和だと僕は思います。更に平和を伝えるためには過去を知り、現在を楽しみ、未来へ受け継ぐ。皆で平和を未来に、戦争を過去のものへとなるように現在を生きていこう。
美里中学校
二年生
上地  亮
二日目の八月九日、長崎原爆犠牲慰霊平和祈念式典に参列しました。今年で原爆が投下された九日から六十年が経ちます。そこには被爆者の遺族はもちろん全国からきた平和大使、小泉首相、県知事も参列されていました。特に外国人も多く参列していたことがとても嬉しかったです。日本の願いが外国にも届いたと確信でき、「平和」は世界共通の願いだとそこで思う事ができたからです。
美里中学校
二年生
森根 睦未
長崎に行くまで、原爆の本当の恐ろしさを知らないばかりか、私たちの住む沖縄が一番辛い思いをしたとばかり思っていました。しかし、広島・長崎は原爆、沖縄は地上戦と状況は異なっても、戦争によって奪われた尊い命や、戦争によってなくした人々の明るい笑顔は同じなのだと気付きました。この四日間で、戦争の残酷さ、原爆の恐ろしさと平和の大切さ、命の尊さを学ぶ事が出来たと思います。
宮里中学校
二年生
登川 華恵
もう、あんな悲惨なことは絶対に繰り返してはいけないと思います。今の私でも、出来る事はあります。この四日間の出来事を色々な人達に伝えること。戦争についてもっとよく知ること。思いやりという優しい心を持つこと。こんな些細なことだけど、平和っていうのは自分の足元から作っていくものだと思うから、この三つをこれからも少しずつでも実行していこうと思います。
宮里中学校
二年生
吉田  豊
長崎に沖縄戦の悲惨さや沖縄で起こった悲劇を教えに、そして長崎の原爆の恐ろしさや真の平和とは何かを学びに行きました。平和会館では被爆者体験話を聞きました。講話者の下平作江さんの家族は原爆の熱線や放射線などを受けて、作江さんと妹を残し死んでしまい、今でも原爆の後遺症に悩んでいるという話でした。この話を聞いて二度と核を落としてはいけないと思い、心から平和を祈りました。
安慶田中学校
二年生
崎山 嗣史
「恵の丘ホーム」へ行きました。後田さんというおばあちゃんに被爆した時の事を話してもらいました。最後の方では「沖縄戦は悲しかった」など、自分も被爆しているのに沖縄の事も悲しがっていました。そんな話をしてくれた後田さんは、僕達が帰る時「世界を平和にするためにがんばって下さい」と言ってくれました。今回あったこの平和学習で習った事をいろいろな人に伝えていきたいです。
安慶田中学校
二年生
座間味 弓月
原爆は空から四千度の熱と爆風が降ってきて、人も馬も木も街も、全部一瞬にして奪う恐ろしいものでした。何とか助かって生きても、放射能の影響で髪も抜けて、斑点もできて、苦しくて、その時だけでは終わらない恐怖がいつまでもいつまでもつきまとうとても恐ろしいものでした。「平和とは何か」と自分で考えてみました。それは、一人ひとりが相手の事を分かろうと努力する事だと思います。
山内中学校
二年生
田中 史織
長崎の街は一発の原子爆弾の投下により、街は焼け野原と化し、廃墟と化し、たくさんの尊い命が犠牲になりました。辛かったでしょう。苦しかったでしょう。しかし、生き残った方達も今なお原爆の後遺症で苦しんでいる人は大勢います。長崎市長が「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ヒロシマ」長崎を世界で最後の原爆落下地にしよう、と言っていました。本当にそれが実現して欲しいと思いました。
山内中学校
二年生
友寄 元樹
長崎で平和とは何か、戦争とは何か、原爆とは何かを調べに行きました。この長崎派遣を通して、とても印象に残っているのは二人の被爆者講話です。分かったことは、まだ世界は平和ではなく、戦争は兵隊だけでなく、国民や国全体を変えることが分かった。また原爆は、人間を人間でなくす核兵器だということが分かりました。最後に一言、「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアゲンバク」
コザ中学校
三年生
具志堅 靖知
如己堂・永井記念館に行きました。永井記念館では被爆して灰になった浦上地区を自ら先頭になって復興を進めた永井博士の行動に感動し、博士は医者として被爆者の医療にあたっただけではなく、復興にも力を注いでいたことが分かりました。最後に僕は今も世界のあちこちで戦っている兵隊さんにこう叫びたいです。「銃を持つな。花をもて、そうすれば世界平和は必ずくる」
コザ中学校
三年生
稲嶺 かすみ
私が一番驚いた遺跡は、医大の前にある何トンもある石が浮いている所です。こんなに大きくて重たい石が爆風の風で浮くなんて思ってもいなかったので、ものすごい風だったんだなあと感じました。平和大使になれて、貴重な体験が出来たからには、色々な人に語り継いでいくのが責任だと思うので、今から伝えていきたいと思います。早く世界中の人々が幸せに、平和に暮らせますように。
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