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◆ 広報おきなわ 8月号(N0.410)

 

 

今月の人

「気づき」と「築き」の積み重ねで事業を展開

195.顧 立徳さんさん(46)

08-01.jpg   [ 21175  bytes ]  市在住の外国人と市民との交流活動を推進することを目的とした組織に市国際交流協会がある。海外姉妹都市レイクウッド市との交流事業や、市内の外国人に関する文化や産業、教育など幅広く活動している。国際カーニバルや全島エイサーまつりにも欠かせない組織だ。そんな国際交流協会の会長として多忙な毎日を送っているのが顧(くう)さん。 今月は顧さんに同協会にかける思いなどを聞いた。

 顧さんが同協会に携わったのは平成元年にさかのぼる。
市国際交流会(現協会の前身)の立ち上げの準備会に在沖の中国人代表として参加したときから。顧さんは父親が中国人で母親が沖縄のハーフ。
 それから、協会の会員として会議やイベントなどに積極的に出かけた。持ち前のユーモアセンス、気さくな性格、茶目っ気たっぷりのサービス精神など、その人柄はすぐに協会の人気者に、イベントなど祭りには司会者として欠かせない存在となった。
 平成十八年に同協会の五代目の会長として就任。ワシントン州立大学を卒業後、家業を継ぎ、現在「オーアイシィメガネ店」の代表。忙しい会社業務のかたわら、同協会の会長としても手を抜くことはできない「これまで楽しみながら異文化の勉強ができる活動やイベント等をやってきたが、様々な国の方が参加することで事業内容以上の成果が得られることがあります。『気づき』と『築き』の連続ですね。どうすれば仲間をもっと増やせるか。仲間が増え、分かり合えることで組織はもっと強くなると思うんです」と内に秘める闘志を説得するように話した。
 モットーは「人々との繋がりを大事にする。そして、やっぱり、気づきと築きの積み重ねですかねぇ」と微笑む。
 最近好きになった言葉は「自分を信じろですね。自分は他人とは違う。違って良いいんだ、違うから好いんだ。多くの方に生かされて自分がいる。自分の存在が少しずつわかってきた気がしますよ」と少ない言葉にリーダーとしての一端を垣間見ることができる。さらに「力のある者が主導権を握るといった経済や社会の仕組みでは限界を感じます。外国人と競争・共生が避けられない中で、いかにパートナーとして相手と渡り合うか勝者と敗者だけではなく『WinWin』(双方利を得る)で物事考える必要がある。そのためには、一方的な主張だけではなくお互いに相手を尊重する気持ちが不可欠でしょうね」と持論を説いた。そして、舌を出し照れた。ゴルフと美味しい料理を食べるのが趣味と言う顧会長。燃料をたっぷり補給し、エンジンフル回転で国際交流事業を展開していく。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

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「車は右から左へ」の7・30
マーク付きネクタイピン

 去る七月三○日、沖縄は「7・30交通方法変更」から三○周年を迎えました。交通方法の変更は、「一国一方式」の国際条約の遵守、また復帰に伴い本土〜沖縄間の交流が増加する中、交通方法の違いによる交通上の危険防止を理由に復帰処理事業の一つとして実施を決定。だが交通方法の変更が県内に及ぼす影響は大きく、実施時期が近づくにつれ県民の不安・動揺は増大していきます。
 前夜から始まった通行区分の切り替え作業が済んだ後の一九七八年七月三○日午前六時を期して、交通方法が変更されました。米軍占領に始まり、復帰後の六年を含めて三三年に及んだ「車は右」の沖縄の交通は全国並みの「車は左」に変わり、日本の交通方法は統一されました。
 しかし交通方法変更は大混乱を招き、事故、交通マヒといった騒ぎが県内各地で続発。7・30から一カ月後の八月末になっても左側走行に慣れることは難しく、本市でも「生活のリズムが狂う」と住民から不満の声があがる一方、車の流れが変わったことによる営業損失など、経済活動にも大きな影響を与えたようです。
 新交通ルールはその後、県民の間に定着。復帰後の沖縄を大きく揺るがせた7・30は、歴史の一コマになりました。

 

市史編集担当/
TEL:939-1212(内線2273)
ヒストリート、しーぶんかん/
TEL:929-2922
 

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