豊とよ中なか市し(大おお阪さか府ふ):兄きょう弟だい都と市し1964(昭しょう和わ39)年ねん、豊とよ中なか市し役やく所しょの方かたがコザ市し(当とう時じ)をおとずれたときに「豊とよ中なか市しには沖おき縄なわ戦せんの遺い族ぞくも多おおく、何なにか形かた見みになるものがあれば」と話はなしがあり、コザ市しから霊れい石せきとハイビスカスがとどけられました。このことがきっかけとなり交こう流りゅうが始はじまりました。すからうつり住もいるそうだよ。ふ府なわ縄し 市おお(大と都し市)し市す子●↑ ■ア 豊霊れい石せきやどちからべつ別などが宿な力いしじられている石るのが画●↑ ■ウ 壁沖おき縄なわ市しの兄きょう弟だい都と市し・姉し妹まい都と市しようよう用用ごご語語かいかい解解せつせつ説説へきとよなか中ようまつりの様なわ縄おき 沖ひと人とく特しんと信ことです。だい弟なか中やく役しょ所とよおくしなかがっ●↑ ■イ 豊から送市中られた「合くになわおきこどもの国縄(沖んだつながる・ひろがるきょう▶ 兄さかとよ阪 豊おき について | 沖そう奏ぞう」の像144また、日に本ほんふっ帰き前まえの沖おき縄なわでは、アメリカとう治ち下かのため行ぎょう政せいの仕し組くみがことなっていて、日に本ほんふっ帰きにそなえ、豊とよ中なか市し役やく所しょで「研けんしゅう」を行おこなった関かん係けいもあり、ふっ帰き後ごの1974(昭しょう和わ49)年ねん、コザ市しと美み里さと村そんが合がっぺいして沖おき縄なわ市しが生うまれた年としに「兄きょう弟だい都と市し宣せん言げん」を調ちょう印いんしました。その後ごも様さま々ざまな交こう流りゅうが続つづけられており、毎まい年とし夏なつごろに豊とよ中なか市しで行われる「豊とよ中なかまつり」では、沖おき縄なわの代だい表ひょう的てきな飲いん食しょく物ぶつが売うられたりして、にぎわいます。)おさむさんは、沖おき縄なわ市しは県けん外がいのまちとどのようにつながっているか調しらべたくなりました。しりょう
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