わたしたちの沖縄市 3年・4年
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投とう書しょぶんしん新聞おく送ること。更こう生せい更こう生せいの母ははにおくる詩し私わたしは、何なにもお役やくに立たつことはできませんが、陰かげながら声せい援えんしています。女じょ子しホームを出でてから二十年ねん余あまりになります。私わたしはこれからもまじめな心こころで生いきていくようがんばります。ご安あん心しん下ください。愛あいと夢ゆめをもぎとられ悪あくのふきだまりへと新あたらしい息い吹ぶきをそそぎ見み事ごとに芽めばえました心こころのぬくもりと人ひとの道みちを開ひらいて優やさしくさとしてくれたあなた島しまマスさんは、1979(昭しょう和わ54)年ねんに、琉りゅう球きゅう新しん報ぽう賞しょうを受じゅ賞しょうしました。そのとき、コザ女じょ子しホーム出しゅっ身しんの子こがマスさんあての手て紙がみを新しん聞ぶんに投とう書しょしました。ば葉よを読うちを受も持てに手人じん道どうひと人ようよう用用ごご語語かいかい解解せつせつ説説お母かあさん(島しまマスさん)どうぞご無む理りをなさらずにいつまでも元げん気きでいて下ください。もっともっと長なが生いきして人じん道どうを踏ふみ外はずした子こどもたちのために、変かわらぬ愛あいの言こと葉ばで育はぐくんでやって下ください。がみ紙しゃ社ただあらため正おこなとしてとうぜん行ただうべき正声せい援えんおう応尊とうというつくりっぱで、美幼よう魂こんおさないたましいのことこ事。(子どもたちのこと)業ぎょうしごと。偉い大だいりっぱなこと。みちしい道しょ書とうこの投きの気しまんだ島いけ入いわマスさんは、「どんなお祝これた子かんどもがいたことに感かんよりも感いしゃします。」と言こといの言どう動し、わたしっていたそうだよ。116お母かあさん 心こころの愛あいをありがとうお母かあさんあなたの尊とうとい心こころがきらきらと輝かがやいていますひきずられあわれな幼よう魂こんにおお母ははよ あなたの愛あいはおお母ははよ あなたの愛あいは尊とうとくその業ぎょうは偉い大だいでした。などをすこと。えんすること。しい。

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