わたしたちの沖縄市 3年・4年
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基き地ちの多おおいコザの街まちでは、アメリカ兵へいによる事じ件けんや事じ故こもたくさん発はっ生せいしました。 島どんな願こ子うい受しじによる事■ア アメリカの支ご語島しまマスの願ねがい調しらべるしまねがおもマスは、いや思いでどもたちをけ入れていたのかな。おう。はい配えいか下で、英じいんせいこうばんかん板でかかれている看(厚生員時だい代ねん 1949年)しましま島島マスは、どんなマスは、どんなねがねが願願いをもっていたのいをもっていたのしらしらかか調調けん件おおふく、とても不も多ひとじる人かったへいアメリカ兵こじ故や事かんあん安を感のね。おおが多おもいや思あし合110まなびのポイントはなししまねが「島い」の話マスの願しまよを読んで、島マスのねがいについて願はな話べましょう。べましょう。また、社しゃ会かい全ぜん体たいが食しょくりょう不ぶ足そくだったので大おと人なも子こどもも毎まい日にちおなかを空すかせて、苦くるしい思おもいをしていました。このような中なかで、青せい少しょう年ねんのはんざいもふえていき、大おおきな社しゃ会かい問もん題だいとなっていました。子こどもたちが、けいむ所しょへ送おくられることに島しまマスは心こころをいためていました。そこで、島しまマスは、さいばん官かんに「子こどもたちは宝たからであり、沖おき縄なわの希き望ぼうです。」とうったえました。島しまマスの言こと葉ばは、さいばん官かんや、つみをおかした子こどもたちの心こころも動うごかしました。

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