わたしたちの沖縄市 3年・4年
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大おお城しろ賢けん雄ゆう(鬼ウニ大ウフ城グシク)大おお城しろ賢けん雄ゆうは大おおがらで武ぶゆうにすぐれ、別べつ名めい「鬼ウニ大ウフ城グシク」ともよばれていました。1458年ねんに勝かつ連れんの阿あ麻ま和わ利りをたおし、その功こうせきで越ごえ来く間ま切ぎりを与あたえられ、尚しょう泰たい久きゅうのむすめ「百もも度と踏ふみ揚あがり」と結けっこんしました。しかし、その後ごの争あらそいで第だい一いち尚しょう氏し王おうとうがほろぶと、大おお城しろ賢けん雄ゆうも争あらそいにまきこまれ、なくなりました。なくなった場ば所しょが墓はかになったと言いわれています。勝かつ連れんしいまの「うるま市今大おお城しろ賢けん雄ゆうは、第だい一いち尚しょう氏しから第だい二に尚しょう氏しに代かわるころの有ゆう名めいなぶしょうで、沖おき縄なわのげきでも、えんじられることが多おおいんだ。わたしも小ちいさいころ家か族ぞくで見みに行いったことがあるよ。り利し市わ和なわ縄し指わ和し市しょう昭かつ」勝れん連まあ▶ 阿麻おき |沖ウニと鬼やくしょ所役しおき▶ 沖市ぶんれき 歴文 ツアーち #3 知なわ縄し史たい体けん験しゅう周ばな花へんグスク編はかグシクウフウニ ■ア ●→の墓城大鬼しかぶんていせき)ざい(史化定文ていしにちがつねん55年10月23日指定ことばことばつながる・ひろがるグシクウフ城大つながる・ひろがるし・うるま市かゆう化遊96なつみさんのおじいさんの話はなし。

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