泡あわ瀬せ京太郎(チョンダラー)は、1903(明めい治じ36)年ねんに泡あわ瀬せ村むらができ、その3年ねん後ごの1906(明めい治じ39)年ねんに泡あわ瀬せビジュル改かい修しゅうなどの記き念ねんに泡あわ瀬せでえんじられたのがはじまりで、2025(令れい和わ7)年ねんで119年ねんとなるれきしのある伝でん統とう芸げいのうです。泡あわ瀬せ京チョンダラー太郎ほぞん会かい会かい長ちょうさんの話はなし小こ太だい鼓こをたたいて歌うたをうたう「音取(ニートゥイ)」、馬うまの人にん形ぎょうをつけ、かけ合あいで漫まん才ざいを行おこなう「馬舞者(ウマメーサー)」、「おどり手て」、三さん線しんをひく「地謡(ジカタ)」の四よっつの役やくがきほんとなり、入にゅう場じょうの「出羽(ンジファ)」「扇の舞(オージヌメー)」「御知行の唄(ウチジョーヌウタ)」「馬舞(ウマメー)のかけ合あい」「鳥刺舞(トゥイヌサシメー)」の順じゅんでおどります。泡あわ瀬せ京チョンダラー太郎は1978(昭しょう和わ53)年ねんに沖おき縄なわ市しの「民みんぞく文ぶん化かざい」、1980(昭しょう和わ55)年ねんに沖おき縄なわ県けんの「無む形けい民みんぞく文ぶん化かざい」、2005(平へい成せい17)年ねんには「記き録ろく作さく成せい等とうの措そ置ちを講こうずべき無む形けいの民みんぞく文ぶん化かざい」として国くに選せん定ていをえました。えんじる時ときには、音おとや声こえの意い味みを一ひとつひとつ大だい事じにしていますが、古ふるい大やま和と言こと葉ばと琉りゅう球きゅう方ほう言げんが重かさなって話はなされているため、意い味みを知しっている人ひとが少すくなくなり、わかりやすく教おしえるのがすごくむずかしくなってきています。地ちいきの学がっ校こうによびかけ、運うん動どう会かいや学がく芸げい会かいでもえんじてもらえるよう、しどうもしています。子こどもたちが泡あわ瀬せ京チョンダラー太郎を大たい切せつに伝つたえ続つづけていき、これからも地ちいきが栄さかえていくことを願ねがっています。地ちいきで続つづけられているものに「泡あわ瀬せ京太郎(チョンダラー)」という伝でん統とう芸げいのうがあることを知しり、泡あわ瀬せ京チョンダラー太郎ほぞん会かいの方かたに話はなしを聞きくことにしました。い遺か化せ瀬し市せ瀬沖おき縄なわ市しに残のこる伝でん統とう芸げいのう「泡あわ瀬せ京チョンダラー太郎」の京さん産オンラインあわつながる・ひろがる▶ 泡チョンダラー京おき太郎 沖なわ縄つづつづでで続続しし市市あわつながる・ひろがる▶ 泡調しらべるエイサーのほかに、エイサーのほかに、なわなわおきおき沖沖縄縄けられてけられているものには、どんいるものには、どんしらしらなものがあるのかなものがあるのか調調べましょう。べましょう。チョンダラーぶん太郎 文88きよしさんたちは、エイサーのほかに、
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