わたしたちの沖縄市 3年・4年
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昔むかしの沖おき縄なわでは、那な覇は、泡あわ瀬せ、豊と見み城ぐすく、羽はね地じ、具ぐ志し川かわの5つの地ちいきで塩しおがつくられていました。1904年ねんまでは那な覇はで一いち番ばんたくさんの塩しおがつくられていましたが、1905年ねんからは泡あわ瀬せが上うわ回まわるようになり、1928年ねんには、最さい高こう2016トンというたくさんの塩しおがつくられました。泡あわ瀬せが塩しおの一いち大だい生せい産さん地ちだったことがわかります。今いまは泡あわ瀬せに塩えん田でんはありませんが、昔むかしは泡あわ瀬せの三さん丁ちょう目めのあたりにたくさんの塩えん田でんが広ひろがっていました。沖おき縄なわ戦せん(1945年ねん)で塩えん田でんや塩しおづくりの小こ屋やがこわされてしまいましたが、1946年ねんに沖おき縄なわ製せい塩えん株かぶ式しき会がい社しゃが作つくられて、泡あわ瀬せでの塩しおづくりがふたたびはじまりました。128しりょう沖おき縄なわ市しの塩しおづくりみなさんは沖おき縄なわ市しで塩しおがつくられていたことを知しっていますか。今いまから300年ねん以い上じょう前まえの1694年ねんに、那な覇はのお百ひゃく姓しょうさんが、鹿か児ご島しまの人ひとから塩しおのつくりかたを教おそわり、那な覇はで塩しおづくりがはじまったと伝つたえられています。その後ご、1768年ねんに、高たか江え洲す義よし正まささんという人ひとが泡あわ瀬せで塩しおづくりをはじめました。その後ご、塩しおをつくる方ほう法ほうが新あたらしくなり、塩えん田でんを使つかわなくなったため、泡あわ瀬せの塩えん田でんはだんだん使つかわれなくなりました。そして1978年ねんからの土と地ちの整せい理りでうめたてられ、今いまの泡あわ瀬せ三さん丁ちょう目めになりました。

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