わたしたちの沖縄市 3年・4年
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正せい式しきに『沖おき縄なわ戦せん』が終おわったことをやくそくをした日ひは、沖おき縄なわ市しは、「平へい和わにすごせることにかんしゃして、ゆたかなせいかつがおくれるまちづくりを進すすめる。」ことをもくてきに、1993年ねんに9月がつ7日かを『沖おき縄なわ市し民みん平へい和わの日ひ』とさだめました。126しりょう沖おき縄なわ市し民みん平へい和わの日ひみなさんは『沖おき縄なわ戦せん』が終おわった日ひを知しっていますか。6月がつ23日にち(いれいの日ひ)や8月がつ15日にち(終しゅう戦せん記き念ねん日び)などが思おもいうかぶのではないでしょうか。しかし、正せい式しきに『沖おき縄なわ戦せん』が終おわった日ひは、「6月がつ23日にち」でも「8月がつ15日にち」でもないのです。6月がつ23日にちは、沖おき縄なわ戦せんでしきをとっていた日に本ほん軍ぐんの司し令れい官かんがみずから命いのちをたった日ひです。この日ひで、そしきてきな戦せん争そうが終おわった日ひといわれていますが、それでも、司し令れい官かんがさいごにのこした「さいごのさいごまで戦たたかえ。」という言こと葉ばをうけ、ていこうをつづける兵へいたいもいて、まだ戦せん争そうは完かん全ぜんには、終おわっていませんでした。8月がつ15日にちは、昭しょう和わ天てん皇のうが戦せん争そうにまけたことをつげた日ひです。しかし、そのあとも、戦せん争そうが終おわったことを知しらない兵へいたいがまだ多おおくいたのです。 9月がつ7日かになるのです。そのやくそくをした場ば所しょが、今いまの沖おき縄なわ市し(旧きゅう越ごえ来く村そん森もり根ね)だったのです。

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