わたしたちの沖縄市 3年・4年
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1市しの様よう子すと人ひと々びとのくらしのうつりかわり にす子●↑ ■イ 50年ねんまえ前ようごろの様あおあおやまやまようようじじななはは覇覇  那那二二洋洋山山青青ねんすようまえ●↑ ■ア 70年子ごろの様前しし氏氏ぞうぞう蔵蔵やや屋屋ろろ路路しゃの写しん真ぢか近みひと身な人はなしついて話むかしに昔きを聞ようすの様子こう。しし市市れきれき歴歴しし史史はくはく博博ぶつぶつ物物かんかん館館ていてい提提きょうきょう供供だいだい 『 『大大りゅうりゅう琉琉きゅうきゅう球球しゃしゃ写写しんしん真真ちょうちょう帖帖かんかん』』関関れんれん連連しし資資りょうりょう料料110まなびのポイントむかしみいま昔と今を見て、きはなあづいたことを話し合気おう。つかむじじじゅうじゅうごご字字胡胡十十のまわりのまわりはどのようにかわってはどのようにかわってきたのでしょうか。きたのでしょうか。かわってきた沖おき縄なわ市しのまち なつみさんたちは、昔むかしと今いまの胡ご屋や十じゅう字じ路ろの写しゃ真しんを見みて、気きづいたことを話はなし合あいました。「昔むかしは、走はしっている車くるまの数かずが少すくないね。ひくいたて物ものが多おおいよ。」「今いまは、道どう路ろがコンクリートになって、信しん号ごうもできているね。」「高たかいたて物ものがふえて、にぎやなつみさんたちは、近ちかくに住すむおばあさんに、昔むかしの様よう子すについて話はなしを聞きいてみました。かになってきてるよ。」

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