特集・みんなつながっている
●訪問インタビュー

沖縄大学教授
(所属・人文学部こども文化学科、専攻・児童福祉論)
 これまで、生活(暮らし)の中で、こどもがどのように扱われ、見られてきたのか、歴史的外面と、実態観察という二つの視点から考え研究をしている。平成19年に沖縄子ども研究会を設立。子どもフォーラムを各地で開催するなど多忙。著書に「おきなわ福祉の旅」など多数あり、ペンネーム「野本三吉」で執筆活動でも活躍中。



加藤彰彦さん(67)
沖縄子ども研究会会長

−沖縄子ども研究会を立ち上げたいきさつと目的を教えてください。
 沖縄には豊かな子育ての思想や実践があるのにそれらがうまく受け継がれておらず、様々な活動がつながっていないと感じていた。そんな中、北谷町での悲しい事件や、親による子どもへの虐待死事件があり、このままではいけないと考えた。二〇〇六年に日本社会臨床学会が沖縄大学で行われ、そのシンポジウムで「いま、沖縄の子どもたちは・・・」をテーマに話し合い、その中で「沖縄子ども研究会」を設立することが提案され、その準備に入った。各地で取り組まれている実践報告をくり返し、翌年、五月に設立総会を開催した。

−今後の目標や課題は。
 現在は各地で取り組まれている子育てサークル、団体、活動のネットワークをつくりたいと考え、二〇一〇年二月をめどに、「沖縄子ども白書」をつくる予定で活動を進めている。また、そのための編集委員会を毎月行っていきたい。
もう一つは同年の三月に第五十五回子どもを守る文化会議を沖縄で開催する予定で、そのための準備会も来年一月から始める予定である。当面はこの二つの目標に向かって「沖縄子どもフォーラム」を定期的に行い、交流の場にしていきたい。そして、沖縄の子育てを「ゆいまーる」の精神で行うためのまちづくり、地域づくりを目指していきたい。

−沖縄の子どもたちと接して感じることは。
 沖縄の子どもたちは、自然に恵まれた環境の中でオジイ、オバアに見守られ、明るく素直に育っていると思っている。しかし、戦後のアメリカ文化、また復帰後の日本文化の影響を受けて、その文化が消えつつあり、残念でならない。子どもの暮らしの場を立て直すことが、今は必要だと思っており、各自治体(市町村)ごとでの「子どもを中心としたまちづくり」に取り組むことが必要だという気がする。

−沖縄市のこどものまち宣言についてどう思いますか。
 とてもよいものができたと思う。特に「応える」「支える」「変わる」という理念はすばらしいと思う。行政としては、市民が自主的に始めている活動を支援し、共に子どもの居場所をつくっていくことが必要だと思う。とくに、場の提供(保障)と、マンパワー(人材)支援ができればよいと思う。

−こどものまち宣言について具体的な活動はどうあるべきか。
 まずは、「こどもの国」という場を活用して、市民に「子どもと共に生きる」ことの重要さと、子どもという存在の大切さを知らせるための学びあいの場をつくることが必要だと思う。「子ども学講座」のようなものが多くの市民の参加の中で行われるとよい。
 そして、市内の各地に小さな「子どもの居場所」ができるとよいと思う。オモチャの広場、本の広場、遊びの広場などが少しずつ増えていき、その交流が行われるとよいと思う。現在あるNPO、児童館、学童クラブ、保育園、ファミリーサポートセンターなどの交流の場ができることを望んでいる。

−こどものまち宣言をした沖縄市への注文は。
 きびしい環境にいる子どもや学校を支えるための「子育て支援室」(相談と対応のできる所)が設立され、活用できる条件をつくってほしい。
 安心して相談できる場と、人の配置がなされると、市における状況を把握することができ、今後の対応も立てやすいと思う。出来れば那覇市のように総合的な「こども部(局)」が出来て、今後の活動を企画していけると思う。

−こどものまちとは。
 子どものまちとは、将来(未来)を見すえた地域づくりを行うという考えのもと、子どもたちが様々な体験をしながら大人(若者)に混ざって、大人をモデルとして生きることができるまちづくりのことだと考えている。やはり、真剣に今を生き、将来を考えている大人がいる中で、子どもも育ち、地域も生き生きとしてくると考えます。

−どうもありがとうございました。