今月の人

地域に根ざした育児サーポートの活動を

198.内間 末子さん

 地域に母子保健推進員という方々がいる。「すべての子どもが健やかに生まれ育ち親と子が健康で、生きていく喜びと幸せを感じることができるまちづくり」が市の目指す母子保健の理念。つまり、その実現に向けてお手伝いをしているのが推進員。
 学校での体験学習、乳幼児健診、訪問活動、すこやか教室、予防接種など活動は幅広い。平成十七年から同会の会長として組織をまとめ、走り回っているのが内間会長。同会への取り組みや活動などについて聞いてみた。「市母子保健推進員協議会」というのが正式名称。昭和六十二年に結成された組織だ。会員は現在五十三人。市内のほとんどの地域に会員がいるが、業務量からすると決して多くはない。
 就任四年目を迎えた内間会長は「推進員不在の地域もあり、推進員の活動がまだ地域に浸透していないことが課題ですね。今後は地域での活動を幅広く積極的にやっていくことが必要」と組織強化とともにピーアールの必要性を訴えた。
 内間さんが母子保健推進員として参加したのは、平成十年、自治会からの誘いがあり、地域のためならばとの思いで引き受けたという。十七年に同推進員の市連絡協議会が結成され初代会長に、さらに県の中部支部会長にも就任した。
 その頃は乳幼児健診、赤ちゃん事業や育児相談の訪問、調理実習などのすこやか教室、託児協力、各学校での妊婦体験学習、予防接種などと、多くの活動があり、その連絡調整なども含め、目まぐるしい毎日、まさに東奔西走とはこのことだったと言う。
 会長職もすっかり板についてきた内間さん「就任当時は不安の毎日で、周りに支えられ、会員や関係者の協力のおかげでここまで来れたんです」と目を細める。
 昨年は同連絡協議会会員による思春期教育劇「未来へ」も上演した。今後も中学校を中心に活動したいという。さらに市の「こんにちは赤ちゃん事業」にも積極的に参加、地域の育児サポーターとしても活動の幅を広げている。  内間さんは同協議会会長のかたわら、小児発達センターや沖縄こどもの国、中部福祉保健所での未熟児の育児サポート、地域公民館での子育てサポートなどボランティア活動にも積極的に参加している。
 「地域に根ざした子育てサポートのおばちゃん的存在でありたい」という内間さん。
 多忙の毎日だが趣味は年一回の夫婦旅行。「今年は孫と一緒にディズニーランドへ行く予定なんです」と話し、顔がほころんだ。
 協議会の活動については「会員の交流を図りながら、組織の強化、役割実践の向上に努めたい」と話した。  核家族が増えている現在、子育ての負担を母親一人が背負っているという実情も聞く。育児不安、虐待問題など幼児にまつわる問題も増えている。誰にも見えないが母親の心の疲れかもしれない。  すべての子どもが健やかに生まれ育ち、親と子が健康に生きていく。あたりまえのことではあるが、そんな手助けを母子保健推進員の方々は担っている。その役割は大きい。

戦後文化シアター 今月のヒストリート



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 左の写真は泡瀬一区にあった美浦劇場です。今から六〇年前に無蓋の劇場として発足、その後写真のような建物になり昭和四〇年代初め頃まで地域の人々に芝居や映画という娯楽を提供してきました。六〇年前といえば終戦から三年、荒廃した人々の暮らしも少しずつ落ち着きを取り戻し娯楽を求める心の余裕も出てきたのでしょう。
同じ頃、市内には収容所のあった嘉間良に中央劇場、故郷に帰村許可が出ないため北谷村民(当時)が多く居住していた南桃原には桃原劇場など人々の集まる場所に劇場が建ち始めます。一九五〇年代になるとその数は一気に増え五八年には二〇館を数えますが、六〇年代に入るとテレビの台頭や娯楽の多様化で映画館は次々と廃業に追い込まれ七〇年には半分に減少。振り返ると映画黄金期は十数年の短い期間でした。
しかし、当時映画館に通った人々の心には忘れられない思い出が刻まれたようです。見学者からはヌギバイ(無銭入場)をみつかり顔にペンキを塗られた話、映画上映中のステージを駆け回った子ども時代など今ではあり得ない話が出てきます。企画展『えいがかん』は今月二九日まで!お見逃しなく!