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平和記念公園で平和記念式典に参列しました。式典には、福田総理大臣も参列しており、全員で一分間の黙祷をするとともに平和への祈りを捧げました。今回、僕たちは二カ月あまりの事前研修を終えて、広島での本研修に臨むことができました。広島では、平和についていろんな事を学ぶと共に、幟町中学校や盛岡市の中学生使節団とも交流することができて本当によかったと思いました。
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神田山やすらぎ園の介護士さんに「このおばあちゃんたちにこれからも被爆体験を語り継いでほしい?」と聞かれました。介護士さんは「私はもういいよって言ってあげたい。あの辛い過去を思い出させたくない」と言っていました。戦争体験を聞くということは、体験者の方々に辛い思いをさせるということなんだ。体験談を聞いた私たちが、その分まで平和についてしっかりと考えていかなければならないと思いました。
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「地球の平和監視時計」を見ました。その時計には、原爆が投下されてからこの日までの日にち、最後の核実験からこの日までの日にちがデジタル時計であらわされていました。八月四日は原爆が投下されてから二万三千九日、最後の核実験から六百六十五日がたっていました。今研修ではいろんなことを学んで、いろんなことをつかんだと実感しました。この体験を伝えていきたいです。
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原爆ドームを視察しました。一番上にあるドーム形の屋根は丸見えで、その姿は、原爆の恐ろしさを物語っていました。次に原爆死没者慰霊碑に行きました。この碑には、原爆で亡くなった大勢の人の遺骨が納められています。未だにこの遺骨の引き取り手がないものもあるとのことでした。原爆が広島に投下されてから六十三年経っても、原爆で亡くなった大勢の方々のことを思うと悲しく感じました。
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被爆者体験講話で私達のグループにお話しして下さったおばあちゃんは、今も腕に当時の傷が残っていました。そして、助けを求めている子どもを助けてあげられなかった事が今でも心残りと、とても悲しそうな顔でおっしゃっていました。そのつらい思いが現在まで続いているのです。戦争体験者の方々が高齢化していく今だからこそ、私達がしっかり話を伺い、伝えていくべきだと思いました。
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平和大使研修を終え原爆が投下されたことについて「人の命を何だと思っているのか!」と、とてもショックでした。同じ人間なのに、こんな風に命を奪われて、とてもくやしかったと思います。何が起きたかのかも分からず、逃げ惑う人々、考えただけでとても悲しい気持ちになります。もう二度と、原爆なんて落としてほしくないと思いました。これからずっと戦争がなくなるように願います。
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平和公園内にある韓国人犠牲者の碑を見学しました。祈念碑には共通点があります。それは、原爆によって何の罪もない多くの人たちが亡くなったという事実です。本当に胸が痛みました。灯ろう流しでは、「核のない時代が来ますように」と書き込んで川に流しました。核のない時代が来るまでには、莫大な時間がかかると思うけど、その日が来るまで私はずっと待ち続けたいです。
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神田山やすらぎ園で被爆高齢者による体験者講話を聞きました。「目の前が、一瞬ピカッと光った後は、もう意識はなく、気付いた時には周りには何もなく、水を求める人たちであふれていた」とのことでした。僕は講話を聞いて、原爆は落ちた時だけではなく、その後も、ずっと被爆者を苦しめる「悪魔の兵器だ」と感じました。今回広島で学んだことを多くの人に伝えられたらいいなと思っています。
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原爆の投下された八時十五分、参列者全員で黙祷を捧げました。「平和になれますように」「もう二度と、同じ過ちを繰り返しません」といった願いや亡くなった方々への誓いが、天まで届くようにと。私にとっての平和とは、みんなが自由で平等であり、そして自分らしく生きていくこと、当たり前の生活ができること、自分の意見が言えることです。これらの全てがそろえば、平和になれると思います。
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被爆された高齢者の方々から被爆体験者談を聞くことができました。おばあちゃんの一人は、「九月で百歳になるので、もう、この話は誰にもしません。もう、思い出したくないのです。みなさんに話して、これを最後にします」と言って、原爆投下の模様を話してくれました。途中で何度も何度も泣きそうになっていました。辛い思いをしながらもお話ししてくれて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
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たくさんの語り部の方からお話を聞くことができました。被爆した方々のことを思うと「戦争は終わっているけど、実際には後遺症等で今でも苦しんでいる人々がたくさんいるんだ」と感じました。そういう意味では、まだまだ戦争は終わっていません。戦争体験者の高齢化が進む中、この戦争の悲惨さを伝えるのは私たち平和大使の役割であると強く感じました。広島で学んだことを伝えていきたいです。
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スティーブ・ロイド・リーパー先生の「国際的視野から平和を考える」という講話を聞きました。リーパー先生が言っていた言葉の中で、「平和は社会的な健康」とありました。今でもまだ、どこかの国で戦争をしています。そう考えると、世界は今、病気にかかっていると思いました。病気を治すには、国と国が信じ合い、核兵器のない世界にしていかなければならないと思いました。
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八時十五分に全員で黙祷し、被爆された方々のご冥福とこれからの恒久平和を誓いました。広島に派遣されて、原子爆弾や戦争の恐ろしさを実感することができました。今、私たちにできることは、事実をありのままに伝えていくことです。世界には、まだまだ核兵器を持った国があります。平和について、もっと取り組んで欲しいと思います。世界が平和になるように頑張りたいと思います。
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平和記念式典に参加しました。式典には世界各国から多くの方々がおとずれており、「六十三年前の今日、ここに原爆が落とされた」との説明もありました。僕はとてもショックで、二度とこんなひどい事をしてはいけないと思いました。今回の研修ではとても良い勉強ができました。これからも、僕が今まで学んできた「ぼくの平和」を訴えていけたら、そして平和の一つとしてつながればと思いました。
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私達は今、平和で豊かな、あまり不自由のない生活を送っています。しかし、この様な時だからこそ、戦争が生んだ憎しみや悲しみ、平和であることの大切さについて深く考えていかなければならないと思います。今回の研修やこれまでの事前学習を経て、自分の知らなかった事が色々分かってきました。平和大使として戦争や平和について精一杯学習したことをしっかりと伝えていきたいと思います。
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原爆の子の像について、私は今までに全く見たことも聞いたこともありませんでした。もちろん、佐々木禎子さんという人も知りませんでした。禎子さんは原爆投下後、十年も経ってから、原爆を原因とする白血病になりました。一九五五年十月二五日に短い生涯を終えました。私はこの像のおかげで、原爆投下から何年も経ってから病気で苦しむ人々がいるんだなと知ることができました。
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