特集 平和へのメッセージ あなたから世界へ「平和の大切さ、命の尊さをいつも心に」
 沖縄戦では、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が行われ、住民や日米軍人など二十万人余の尊い命が犠牲となり、さらに自然や文化遺産はもとより社会基盤のすべてが破壊された。この沖縄戦の降伏調印式が一九四五年九月七日、沖縄市(旧越来村森根)で行われた。
 沖縄市では、この日を沖縄戦の終結の日、さらに平和への一歩を踏み出した日と位置づけ「沖縄市民平和の日」と定めた。又、市民が日常生活の中で平和を考え、話し合い、行動していこうと、市は毎年八月一日から九月七日までを平和月間と称し、その期間中、沖縄地上戦の実相を広く世界へ発信するとともに、平和に関する様々なイベントを企画、市内外に平和の尊さをアピールしている。今月号は平和月間に行われた各事業を紹介するとともに、市民とともに「平和」について考える。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはいけない
 沖縄市は一九九三年に「沖縄市民平和の日を定める条例」を制定し、九月七日を「市民平和の日」として定めた。そして、日本国憲法と核兵器廃絶平和都市宣言(一九九五年六月二十日)の理念の基に、「すべての市民が人間としての基本的人権が保障され、戦争の不安を取り除き、二度と戦争の惨禍を繰り返さない、許さない」ことを決意した。
 平和月間は「市民が等しく平和で豊かな生活が送れるように、また市民一人ひとりの生命を限りなく大切にする生活にとけ込んだ平和意識を創りだし、地域に根ざした草の根平和運動の展開をめざす」とうたっている。
 「平和へのメッセージ あなたから世界へ」をスローガンに八月一日、今年度の平和月間がスタートした。

▲沖縄市の平和大使と広島市の幟町中学校との平和集会が行われた

▲「沖縄戦から平和を考える」と題した
 講演会で戦争体験談を語る大田昌秀氏


▲広島の神田山やすらぎ園で被爆体験者から
 当時の様子が語られた

▲8月1日にスタートした平和月間のセレモニーで
 オープニングを飾った三線学級の子どもたち


平和に対する強い意志と信念を常に持ちつづけよう
 平和月間の初日、セレモニーで島袋副市長(代読)は「私達は先の大戦から戦争は人間が人間でなくなる。武力による解決がいかに残忍で無意味なことであるかを学んだ。すべてのものを破壊する戦争を二度と繰り返してはならない。
 平和運動を市民とともに展開していこう」と平和月間の開始を宣言した。
 平和月間はスタートに先がけ七月二十二日より「平和を願う千羽鶴展」「戦跡めぐり」などを展開、一日より「平和について考える」と称し、本の読み聞かせやアニメ上映会を行った。また、被爆や沖縄戦の写真を展示した「原爆戦争展」や「ひめゆり上映会」なども開かれた。
 八月四日から七日にかけて、沖縄市平和大使十六人が平和学習と交流等を行うため広島市へ派遣された。大使らは四日、原爆ドームの原爆死没者慰霊碑や原爆の子の像などで、折り鶴の献納を行った。二日目は、広島市の幟町中学校での平和集会と交流会へ参加、広島原爆養護ホーム訪問、原爆死没者追悼平和祈念館、などの見学を行った。三日目は広島平和記念式典へ参列、原爆犠牲者の御霊に祈をささげ献花を行った。
 平和の大切さ、命の尊さを痛感した平和大使らの平和を考える旅は終わった。しかし、その体験はずっと心に刻み、それぞれが誰かへ伝えていく。
 八月八日から九月七日にかけては「ベトナム戦争と平和」石川文洋写真展、「市民平和講座」「市ピースラン」など多くの企画が実施された。
 平和月間最終日の九月七日は、市民平和の日記念事業「沖縄戦から平和を考える」と題して、大田昌秀元県知事の講演会が行われた。大田さんは自らの戦争体験談を語り「戦争は殺害などが毎日のように起き、人間不信に陥る」また、集団自決の教科書検定問題について「私の沖縄戦体験からすると軍隊の命令なくして、集団自決が行われることは絶対ない」ときっぱり言いきった。

命を大切にする心を世界へ訴え続ける
 平和月間が教えてくれたこと、と、平和を願う心、命の尊さを感じる心、沖縄市民は愛と勇気を持って命を大切にする心を世界へ訴え続けていく。

▲沖縄市民平和の日 記念事業「大田昌秀講演会」のアトラクションで会場を盛り上げたワッツUPチビッ子ダンサーズと全盲のシンガー、大城友弥さん


平和に対する強い意志と信念を常に持ちつづけよう
十一月に「市政懇談会」を実施
 ひと輝く元気な沖縄市をめざして、市長が直接、市民と膝を交え、皆様からの市政へのご意見ご要望等を拝聴する懇談会が、来月十一月四日からスタートします。
 懇談会は市内中学校の八校区の地域ごとに実施する予定で、日程については十一月号の広報おきなわに掲載いたします。
 多くの市民の皆様のご参加をお願いします。