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登川(ぬぶんじゃー)部落の始まり

 昔、知花と池原の間の人里離れたところにフェーレー(追いはぎ)が出て、首里王府へ貢物を運ぶ人や、国頭からの旅人が襲われて品物を奪われることがたびたび起こったので、時の王府は池原集落に対して、フェーレーを取り締まるように命令を下したそうです。
池原集落では、村頭や役人の方々が集まり『どのような方法を取ったらいいか』と協議を重ねた結果、7名の若者をムトゥジマ(この名はあとでつけられた名)に遣わすことになりました。
7名の若者は昼、夜を徹してフェーレー退治につとめ、ついにフェーレーを捕まえることができ、フェーレーは首里王府に連れていかれました。

 王府では、フェーレーを退治することはできたが、また出てくることもあるかと心配し、一番いいことは、そこに集落を造った方が安心だ ということになり、7名の若者に対して「集落をつくるように」と命令したそうです。
池原から来た7名の若者は、フェーレーを退治した後、王府からの命令通りその地に集落をつくり住むことになりました。

 人智の発達に伴い、そこが山岳地帯で土地が狭く、発展性に乏しいということになり、広い場所を求めて、元文4年(1739年)8月15日に現在地に移動したが、今度は7軒では少なすぎるということになり、もう7軒を池原集落より合併させて村を造ったそうです。

 新しい登川集落を造る時に、区画整理や道路、非常用水の整備等についての指導をなされた方は赤嶺親方という人で、その方の名と登川村が現在地に移住してきたことを立証する石碑が、現在でも公民館の前に建立されています。

沖縄市文化財調査報告書第26集『むかしばなしⅠ』
2002年沖縄市教育委員会

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