更新日:2022年3月1日

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越来

尚宣威王の墓

尚宣威王の墓の写真沖縄県立中部工業高等学校の南西側に位置し、小高い山の中腹にある。墓の型式は、名嘉真宣勝の分類の「岩穴囲い込み墓」である。尚宣威王は、第二尚氏尚円王の弟で、尚円王が即位すると越来間切の総地頭に任ぜられた。それで越来王子と称された。1476年に尚円王が亡くなり、尚宣威は1477年に王位を継いだが、在位6ヶ月にして王位を尚真にゆずった。その後に越来間切へ隠遁し、同年8月に没した。

(2010年4月13日 更新)

トゥンチヌスバヌヒヌカン

トゥンチヌスバヌヒヌカンの写真沖縄県立美来工科高等学校の南側に位置する。尚宣威王の子孫が暮らしていた場所と口碑が伝えられている。現在は、湧川門中の子孫たちが拝んでいる。

(2012年7月17日 更新)

當原ガー

當原ガーの写真沖縄県立美来工科高等学校の南東側に位置する。村びとは、正月の元旦にこの井戸から若水を汲んでいた。現在は、住宅街のなかにコンクリート製のマンホールが設置されている。

(2012年7月30日 更新)

ワクガー

ワクガーの写真杉の子保育園の西側に位置する。尚宣威王の子孫であるワクガー(湧川)按司が使用していた井戸と口碑が伝えられている。

(2011年11月18日 更新)

西森公園の拝所

西森公園の拝所の写真越来小学校の西北側に位置する。村びとは、この山のことを「ニシムイ」と呼んでいる。祠のなかには「ウガン南方御嶽」「ウガン西之御嶽」「西森之御嶽」と記された石碑がある。現在の越来中学校の敷地内には、かつて「ニシヌウタキ」「フェーヌウタキ」があった。中学校の建設に伴い現在地へ移動させられた。

(2011年6月6日 更新)

ヒジュルガー

ヒジュルガーの写真越来小学校の北側に位置し、現在は住宅街のなかにひっそりと残されている。

(2012年8月13日 更新)

拝領の白椿

拝領の白椿の写真越来小学校の北側に位置する。越来王子時代(1418年)に尚泰久王は、世利久との間に子どもができた。その記念としてみかんと白椿の木が植えられた。沖縄戦でみかんの木はなくなるが、白椿は幹に艦砲射撃を受けたにもかかわらず、根が残り再生した。しかし、白椿は平成9年2月に枯れてしまった。現在は、その木の2代目が屋敷地内と隣のターチューガーに植えられている。

(2013年10月7日 更新)

ターチューガー

ターチューガーの写真越来小学校の北側に位置する。俗に「イシガー」と呼ばれている。現在の井戸は、昭和3年に越来村が模範衛生集落に設定されたのを機会に造られた。水汲み用には、吸い上げポンプが2台取り付けられたために「ターチューガー」と呼ばれるようになった。村びとは、正月の元旦の時にこの井戸から若水を汲んだり、子どもが生まれると産湯用の水も汲んだりした。

(2009年1月13日 更新)

ヌルドゥンチガー

ヌルドゥンチガーの写真越来小学校の南東側に位置する。現在は住宅街に囲まれ、セメント製のマンホールを設置している。

(2015年10月8日 更新)

御殿川ヌメーヌカー

御殿川ヌメーヌカーの写真越来小学校の南東側に位置する。現在は住宅街に囲まれ、セメント製のマンホールを設置している。

(2016年2月10日 更新)

ヌンドゥンチャー

ヌンドゥンチャーの写真越来小学校の南東側に位置する。コンクリート建築で大きな拝所を建てたが、祠のなかには香炉だけしかみられない。

(2012年8月27日 更新)

越来グシクの拝所

越来グシクの拝所の写真越来小学校の南側に位置する。越来グスクは、15世紀ごろの尚泰久王や尚宣威王が管轄していた場所とされる。そして、沖縄戦などで遺跡の大部分が破壊された。村びとは公園の南側にある拝所を「ギークヌウガンジュ」と呼んでいる。祠のなかには、「火の神」「越来城殿」と刻まれた石碑がある。越来のウマチーの行事などで拝まれている。

(2010年5月18日 更新)

お問い合わせ

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