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◆ 広報おきなわ12月号(No.402)

沖縄市
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2007
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お知らせ
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沖縄市コミュニティバス運行実証実験
 

特集 民謡が息づく音楽のまち

戦後の復興と共に歩んだ民謡

ウチナーの風土に根付いた沖縄民謡

 戦後の焼け野原となった街を復興させるため、懸命だった住民を励ますように歌われた沖縄の民謡。沖縄では今でも新曲が作られるなど、民謡の宝庫としてこれまでに数多くの作品を生み出してきた。
  沖縄に民謡ブームが起こったのは昭和三十年代。きっかけは、新しい放送局の開局により民謡の録音が再開されたことやジュークボックスの普及、また、民謡酒場の登場などで新曲がどんどん作られたことなどが挙げられる。
  当時のコザの街には多くの民謡酒場が軒を連ねた。理由は一九五〇年より始まった基地建設。本土から大手のゼネコンが沖縄に押し寄せ・基地の街コザ に活気があふれてきたことと関わりがあるという。当時の酒場では歌謡曲などが歌われていたが、本土の客が夜の十二時には帰ってしまうため、第一部は歌謡曲、第二部に民謡を歌うスタイルの民謡酒場が登場。気が付いてみると民謡酒場の中心がコザの街になっていったという。
  戦後に民謡のレコーディングが盛んに行われ、常に新しい民謡が誕生している沖縄。日本の民謡が何年も大切に歌い続けられる伝統音楽ならば、何の気兼ねもなく日常的に作られる歌、それが沖縄民謡である。

コザの街と民謡

 市内外で活躍する民謡歌手にはコザにゆかりのある方が多い。というのも、戦後、多くの人がコザの街に集まってきた。そこ(コザ)には基地があり仕事(軍作業)があったから―。
  山内昌徳さんや故・小浜守栄さんもその軍作業をしていた一人。そこへ、二人を頼って(基地から流れ出てくる食料や物品があった)民謡の仲間達も集まってきたというエピソードがある。そんな訳もあってコザの街にはいろんな民謡歌手が集まってきた。そして、ラジオ放送や有線放送などの音楽を聴く媒体が増えたことや、昭和三十年代に喜納昌永さんが経営する民謡専用のクラブの登場などで民謡ブームが起こり、沖縄の民謡は最盛期を迎えた。
  現在も市内にある「民謡クラブなんた浜」や「民謡ステージ『姫』」などの民謡酒場では、民謡ファンや観光客などが集まり夜更けまで唄と三線で楽しんでいる。また、それらの民謡酒場のステージは若手育成の場としても活かされている。
三線鳴らち歌と笑顔を届ける
寝たきり長寿者笑顔宅配サービス。日ごろ家にこもりがちな寝たきりの長寿者や介護者に対して、笑顔宅配運営委員(民謡歌手)の前川守賢さんと饒辺愛子さんが「笑顔」を宅配。精神的な側面から生活に潤いを与えている。
三線愛好家が一堂に集い奏でる
「今日の吉かる日に揃て弾かな歌さんしん」―。3月4日のさんしんの日に、個人や各音楽愛好会などに参加しているさんしん愛好家が一堂に集い奏でる「さんしんの日・合同演奏会」。沖縄の三線の文化を県内外に発信している。

常に新しい民謡が生まれる島・沖縄

受け継がれる文化の心と技

 昭和三十年代に一大ブームを巻き起こした沖縄民謡。民謡文化の心と技は脈々と次の世代へ受け継がれている。毎年数多くの新曲が生まれているのもその所以である。
  沖縄の三線は二〇〇〇年頃に人気が高まり、三線店が大幅に増加したという。近年は落ち着きをみせているものの、工工四(楽譜)がコンビニでも販売されるなど身近な存在となっている。若手の民謡歌手に目を配ると、仲宗根創や島袋辰也、比嘉久美子といった多くの若手個性派の有望な歌者たちが活躍している。先輩の歌者たちは、これから本格的に民謡を始める若者たちへ「方言を勉強して下さい。本当の沖縄民謡を歌うのであればしっかりとした方言を身に付けて、基本をしっかり学んで欲しい」とアドバスを贈る。
  表情豊かで個性的に日常生活を歌う民謡は、沖縄の生活にはなくてはならない大切な文化。この先輩の歌者たちが築き上げた民謡文化の心と技は若い世代へ継承され、これからも多くの民謡が街を賑わし、新しい唄が作られていく。

近代琉球民謡の祖 普久原朝喜

 沖縄民謡の父と呼ばれる普久原朝喜氏は一九〇三年(明治三十六年)に、沖縄市(旧越来村)で生まれ育った。幼少の頃に蓄音機を耳にしたことにより音楽に関心を覚え、やがて歌の道へ進んでいく。民謡歌手のかたわら作詞・作曲活動やマルフクレコードを経営するなど商才にも長け、まさしく「先見の明」で現代の沖縄音楽の基礎を築き上げた人物である。「チコンキーふくばる」で広く親しまれ「懐かしき故郷」「軍人節」「通い船」など多くのヒット曲を世に送り出した。
  沖縄市では普久原朝喜氏が生誕百年を迎えるに当たり、「普久原朝喜賞」を創設。第一回目の受賞者には喜納昌永氏、山内昌徳氏、山里ユキ氏の三氏が受賞の栄誉に輝いた。同賞は、それぞれの地域における芸能・伝統文化の振興に寄与することを願っている。
ふるさとの伝統文化を若い世代へ

受け継ごうふるさと文化の心と技―。ふるさとの伝統文化を若い世代に継承し、郷土芸能の素晴らしさを再発見しようと行われている子ども三線学級発表会。練習の成果を披露する場として多くの子どもたちが参加している。

芸能・伝統文化の振興「普久原朝喜賞」
普久原朝喜氏生誕百年の年に氏の偉業を顕彰し、その名にふさわしい活動をしている個人・団体を讃えることを目的として創設された『普久原朝喜賞』。第1回目の受賞者には喜納昌永氏、山内昌徳氏、山里ユキ氏が受賞の栄誉に輝いた。
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