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◆ 広報おきなわ10月号(No.400)

沖縄市
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被爆地ナガサキから
大使たちの声を届ける
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第24回沖縄市福祉まつり

●被爆地ナガサキから 大使たちの声を届ける●

平和を願う気持をいつも心に 沖縄から平和を発信する

−平和大使16人が平和学習を通し、平和の大切さ、命の尊さを訴える−

美東中学校 二年 石原 昌晃
 被爆体験講話を聞きました。講師の恒成正敏さんは、十六歳の当時、三菱兵器工場(爆心地より一、四km)で被爆し、爆風で吹き飛ばされ失神して頭に傷を負ったそうです。「六十二年が経った今でも地球に核兵器がある限り平和にはならない」と恒成さんは話しました。僕は恒成さんの話を聞いて、二度と核兵器を落とすことはしてはいけない、そして、地球上の核兵器を無くそうと思いました。
沖縄東中学校 二年 名城 結花
  恵の丘原爆ホームという老人ホームに行って被爆体験者の後田菅野さんの話を聞きました。最後に、「戦争なんかせぬよう、お願いします。日本を守って下さい」と言っていました。後田さんは講話中、何度も泣きそうになっていました。こんなにつらい体験談を聞いた私達は二度と戦争が起きないように、二度と原爆が落ちないように、核の無い平和な世界にしなければならないと改めて強く感じました。
美里中学校 二年 桑江 俊和
  八月八日から十一日までの四日間、僕達は平和大使として長崎へ派遣されました。今回、語り部の人達からたくさんの話を聞かせていただきました。被爆して後遺症に苦しんでいる人達のことを思うと、戦争は六十二年前に終わっているけれども、実際には戦争で苦しんでいる人達がたくさんいることを知りました。核廃絶に向けた取り組みをしていかなければならないと思いました。
宮里中学校 三年 稲嶺 瑞妃
  原子爆弾について勉強しました。その中で私が一番ビックリしたのは、今現在、世界中に約三万発の核兵器があるという事でした。こんなに核兵器があるんだと悲しくなりました。核を持っている国は、どうしてこんなに核を持ちたがるのでしょうか。国を守るためと言って、ただ核を持っているから自分達の国は強いと思い込んでいるだけではないのでしょうか。ただただそんな疑問でいっぱいでした。
美東中学校 二年 平良 二菜
  交流会では「童神」を歌いました。とても喜んでくれたので、嬉しかったです。交流会が終った後も一人のお婆ちゃんが、三線が好きということで、何曲か弾いてあげました。楽しそうに聞いてくれたお婆ちゃんを見て、こんな風に笑顔がずっと続けばいいのにと思いました。私は世界中の人々にこう叫びたいです。「武器より楽器を。武器より歌を。武器より花を。そうすれば、世界に必ず平和が来る」
沖縄東中学校 二年 糸洲 嘉紀
  長崎原爆資料館では、原爆が投下された直後の写真や、原爆の熱線と爆風により犠牲になった人の様子など、とても痛々しいものでした。たった一発の原爆により多くの被害、多くの人の命が失われた事を長崎に行ったことで、より現実的に学ぶ事ができました。戦争から生み出されるものは無く、悲惨と愚かさばかりだと思います。この地球上で、三発目の原子爆弾投下は決してあってはならない。
美里中学校 二年 山田 佳奈子
  如己堂では永井博士が住んでいた家を拝見し、長崎市永井隆記念館では永井博士の言葉や著書などを見ました。私は博士からのメッセージで「敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいてこちらを憎むすきがないほど愛しなさい」「原子爆弾は長崎でおしまい!長崎がピリオド!平和は長崎から!」という二つのメッセージが私の心にとても強く残っていて、これが実現できるように努力していきたいです。
宮里中学校 三年 幸喜 勝久
  一九四五年八月九日午前十一時二分。米軍爆撃機から投下された一発の原子爆弾が地上五百メートルで炸裂しました。猛烈な熱線や爆風、大量の放射線で七万四千人の生命が奪われ、七万五千人の方々が深い傷を負い、廃墟となった大地も、川も、死骸で埋まりました。平和大使になって戦争や核の問題などについて色々学ぶことができました。今回学んだ命の大切さ、平和の尊さを伝えていきたい。
安慶田中学校 三年 荷川取 匠悟
  原爆が落ちた瞬間のことを聞いた時、僕はとてもおどろきました。話しによると、目の前が急に光ったと同時にすごい爆風が襲ってきたと言っていました。外に出ても周りには家はなく、全て倒されていたと聞きました。生き残っていた人も火傷をして皮膚が垂れている人もいたそうです。たった一発の原子爆弾のせいでたくさんの人が亡くなったり、苦しんだりするのでとても酷いものだと感じました。
山内中学校 三年 天久 真奈帆
  私は平和大使として学習していく中で、どうして人は戦争を起こしたのだろう、戦争に勝っても悲しみや苦しみ、恨みが残るだけでいい事なんて何もないのにどうして戦争を起こすのだろうと思いました。争いを作る事が出来るのが人間なら、人間が争いを無くす事も出来るはずです。一人ひとりが平和を願い続けていればいつか世界から兵器が消え、戦争のない世の中になるのではないでしょうか。
越来中学校 一年 大湾 翔太
平和大使として、八月八日から十一日までの四日間、長崎へ平和学習のため派遣されました。平和祈念式典では、六十二年前の今日、原爆が落とされたということでとてもショックを受けました。僕たち平和大使は人々の先頭に立ち、二度と戦争という過ちを繰り返さないように、「平和を築いていこう」と訴えていかねばならないと思います。これからも人々に平和を伝えていきます。
コザ中学校 三年 翁長 みいる
  この四日間で私は多くのことを学びました。平和にみえる今でも、世界中のあちこちで争いは起こっています。なぜ人間は戦争のために知恵や力を使うのでしょう。平和のために使う事はできないのでしょうか。戦争をしても何も得られません。何も得しません。ただ多くの人が死に、大自然が壊されていくのです。そんなのイヤです。もう二度とあのような忌まわしい戦争は起こってほしくない。
安慶田中学校 三年 宮平 千聖
  恵の丘長崎原爆ホームという被爆地長崎で唯一の原爆被爆者の施設を訪れました。三十分ほど、被爆体験者の後田さんの話を聞きました。後田さんは「どうか皆さん、日本を戦争のない、平和な良い国にして下さい」と何度も何度も言っていました。その後田さんの言葉を心に留め、平和な未来を創る為に頑張ろうと思いました。周りの人達に戦争や平和について伝えられるように頑張りたいと思います。
山内中学校 三年 仲間 成龍
  六十二年前の今日、この時刻に長崎に投下された一つの原子爆弾によって多くの命が犠牲になったことを思うと許せない怒りでいっぱいになりました。そして未だに多くの人々が被爆による後遺症で苦しみ、死と隣り合わせで生きている現実がありました。長崎市の田上市長の平和宣言を聞き「非核三原則の法制化が必要」との言葉に平和は祈るだけでは決して訪れないのだと強く感じました。
越来中学校 一年 金城 由佳
  被爆体験者の恒成さんの講話があり「六十二年経つのは早い。戦争の悲惨さや命の尊さを伝えていくのが自分の役目である」と話していました。私は毎日が平和であまり平和について考える機会がありませんでした。でも、長崎派遣研修を通して、原子爆弾や戦争の恐ろしい事実、悲しい体験を知ることができました。私たちが学んできたことを伝えていくことが平和な世界をつくることだと思います。
コザ中学校 三年 伊禮 雅也
  長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました。被爆者代表であいさつした正林さんは「原爆は無差別大量殺戮をやってのける地球の悪魔だ」と言っていました。原爆の恐ろしさが生々しく伝わってきて、二度と世界中で原爆が落とされるような事があってはならないと思いました。世界にはまだ核兵器を持った国が数々あります。そういった国にも平和についてたくさん学んでほしいと思います。
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