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◆ 広報おきなわ4月号(No.394)

今月の人
ちゃあーめーんかい(前進あるのみ)の
精神でふるさとづくりに邁進
<180>金城 吉信さん (62)
 子どもたちのために、地域のために汗を流す。言葉で言うのはたやすいが、いざ実践に移すとなると過重の労苦がともなう。しかし、それを苦労と惜しまず、献身的に労力を提供する。二十数年にわたり東松本自治会の役員を務め、現在も評議員として活躍している。

 今月は金城さんに登場していただき地域での活動、自治会に対する思いなどを聞いてみる。


 東松本自治会の旧名は松本自治会で、一九七二年に同自治会から分離、松本団地自治会として発足した。それから創立十周年を記念に今の名称に変更、新たにスタートを切った。

 金城さんは七九年に副会長の役職に就き、八二年に会長に選出された。「発足時は大変でしたよ、県の住宅公社の分譲住宅ですから、名前も顔も知らないし、集会場もなく、呼びかけも一人は肩にハンドマイクのスピーカーを、一人はマイクを手に地域を歩いたんです。集会も路上でやりましたよ。今振り返ると勇気のある集会でしたね」と笑う。二百七十戸の世帯から戸数が増えていく。カーブミラーが設置される。街灯が取り付けられる。八二年に美里小学校、翌年に美里中学校のPTAを結成。無から有への変容である。それぞれが自分たちの第二の故郷という意識を持ち始めた。発足して十年で、公民館周辺の整備、グラウンド、階段、夏祭りの太鼓等、運動会の用具などすべてをそろえた。「みんなの協力・和・団結のおかげですよ自負するようだけど、すばらしいですね」と目を細め、当時を振り返る。現在の自治会活動についてたずねてみた。

 「行事は多いですよ」と前置きしてから話しだした。「新春ウォーキング、古典演奏会を皮切りに、ピクニック、新入生激励会、比謝川清掃、グラウンドゴルフ大会、夜間パトロール、敬老会、夏祭り、運動会、その間に全体清掃が三回入り、さらに、みそ作りなど定期外の行事があるんです」と苦笑い。準備などを含めると行事に追われる日々だ。しかし、なんの支障もない。各班が毎月、班総会をやっているので、段取りも手際よく行われ、行事はスムーズに運営されているという。

 金城さんは現在、美原小学校の評議員や県交通安全推進員、地域の班長として自治会に係っている。ゴルフ、ボウリングなどスポーツ全般が趣味、「体を動かしていると体調もいいんです、とにかく行動ですよ」とフットワークの軽さは地域でも定評。加入率九八%を誇る東松本自治会。金城さんの口癖である「ちゃあーめーんかい」(前進あるのみ)の言葉どおり、故郷という意識をより高め、がっちりとした和でさらに歩み続ける。
戦後文化シアター
今月のヒストリート
沖縄市誕生 1974年4月1日
 四月です。入学・就職など新生活が始まる方には期待と緊張の特別な月でしょうか。
 今回は四月に起きた出来事を挙げてみます。
 まず、一九四五年四月一日。この日米軍が沖縄本島に上陸。沖縄の運命が大きく変わった始まりでした。戦後県内各地の土地が軍に接収されていた中、五〇年四月にはコザビジネスセンター商業街用地(二二万七千坪)が解放。これは空軍管轄の土地解放では県内初でした。土地解放に先がけ、これも県内初の競輪大会を催すなど商業街建設への住民の期待が高まります。その後本格的な基地建設に伴い、センター通りは米兵たちの歓楽街として賑わい、ベトナム戦争時代は一晩で一軒の家が建つと言われるほどに潤いました。基地と共に大きくなったコザ市でしたが、復帰後は基地依存経済からの脱却をめざし、一九七四年四月一日、美里村と合併し、沖縄市が誕生しました。
 沖縄市の分岐点となる事が過去の四月にありました。今後(未来)の四月にはどんなことが待っているのでしょうか。過去を学んで未来を切り開く!私たち自身の手で!
 ヒストリートには沢山の沖縄市の戦後情報があります。ぜひ足をお運び下さい。
市史編集担当/TEL 939-1212(内線2273)
ヒストリート/TEL 929-2922
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