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◆ 広報おきなわ1月号(No.391)

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今月の人・
戦後文化シアター
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平成19年度から市県民税が変わります。
お知らせ
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第30回記念
沖縄市産業まつり
表  紙
今月の人
お腹が出てきて知的に
見えない私も好き。
<177>大城 貞夫さん(56)
 「サンゴ礁を次の世代へ」をテーマに「第十九回沖縄県広告美術コンクール」が昨年十一月に県内で行われ、最高位の県知事賞に大城さん(サイン沖縄)の作品が選ばれた。これまで数々の賞を受賞している大城さんだが、広告美術とあってなかなか目にすることは少ない。ここでも紹介することが出来なくて残念である(機会があったら紹介したい)。今月は大城さんの活躍ぶりや美術等に関しての直撃インタビューを試みた。

 大城さんは現在、会社「サイン沖縄」(総合広告・看板)の代表で、ジョイイベント(イベント制作・設営)取締役やミュージックウェーブ(音市場・指定管理者)取締役などの外、県広告美術協同組合理事長、県技能士会連合会副会長、全九州広告美術連合会副会長、県立芸術大学非常勤講師などを務めている。その外にも多くの役職に就いており、多忙な毎日である。

―現在の仕事に携わったきっかけは
 大学卒業後、那覇で画廊をやっていたのですが、沖縄市の友人からの誘いもあり看板業に足をつっこむ。技術の習得と汗を流す喜び、そしてビールのおいしさを実感、看板業をライフワークに決定する。35才の頃、沖縄市諸見里で「サイン沖縄」を立ち上げ、5年ほど前に美里、沖縄市消防本部前に移転、この道35年、現在にいたる。

―仕事の内容は
 看板業といってもよろず相談所みたいなもので…、クライアントの考え方、経営方針を聞きながら、そのお店のファサードデザイン、販促のためのサインを提案し、両方が納得して製作を始めるが、なるべく作ったことがないサインを造るのが好き。個性ある店、面白い特色のある街、そして沖縄らしい景観を造っていくのが目的。県芸の非常勤で学生たちに教えているのはパブリックサインや環境デザイン。亜熱帯沖縄の厳しい環境を理解させ、素晴らしい発想と、デザイン能力を活かした作品をデザインしてもらう。沖縄市も新しい街に生まれ変わろうとしていますが、残さないといけない古き良きものそして大事なものをみんなで発見、大切にしていきましょう。

―現在の活動状況は
 街で飲むこと。いろんな人の考え方を聞くのが好き。お腹が出てきて知的に見えない私も好き。

―美術(デザイン)については
 やはり個性。センスも含めて素敵なものは面白いし、面白いと感じたときが素敵な時。

―あなたのモットーは
 アッという間の人生、いつまでもクリエイティブでアクティブに生きたいですね。人生寒翁が馬、苦しいときでも面白いと感じきりたい。

―あなたの性格は
 小さい頃から通知票にはおとなしいとか消極的だとか書かれていて、このシカバクーの性格を直すため、いろいろな役職を引き受けています。

―これまでの受賞歴等は
 県代表で出た1級技能グランプリ(東京)で銀賞をとり、沖縄県知事表彰を受けて以来、数々の賞をいただきましたが、05年のIDB国際会議で作品がポスターになった事。また昨年の沖縄県広告美術コンクールで沖縄県知事賞を取れたことがうれしい出来事、白髪になってきましたが老兵はまだ死んでいません。

―あなたにとって美術とは、今後の取り組みなどは
 美術も音楽もアートです。本年、沖縄市にミュージックタウンが誕生しますが、アーティストたちの頑張りが街を造ります。その裏方・サポーターとしてひそかに強く応援していこうと思っています。たくさんの人がやってきて、コザはやはり面白い街だと言ってもらいましょう。
戦後文化シアター
今月のヒストリート
ピカデリー国映(現ピラミッド)
 戦後の貧しい時代、映画は大衆にとって唯一の、ロマンチックな夢を見ることのできる娯楽でした。戦後、世の中が落ち着いてくると、沖縄各地に次々と映画館がオープン。どこの映画館も立ち見の出る盛況さで、映画館は飛躍的に増加していきます。

一九五八年一月、コザ市は前年からの映画館建築ブームに沸いていました。当時、市内には映画館が十一館あり、さらに四館の増設が見込まれていました。それに対し「業者の乱立は共倒れになる」と増設反対の動きもありましたが、一月には下火になっていました。共倒れの心配を吹き飛ばすかのように全琉で映画人口は増え続けていきます。だが、テレビの台頭により六二年から客足は大幅に落ち、映画産業は斜陽の時代を迎えました。以降、ビデオ普及等もあって映画館は減り続け現在、市内には二館しか残っていません。

 いろいろな変遷を遂げた沖縄の映画史。ヒストリート内に市内の懐かしい各映画館の写真を展示。ぜひ、ご覧になって下さい。
市史編集担当
ヒストリート
/ 939-1212(内線2273)
/ 929-2922
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