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◆ 広報おきなわ12月号(N0.390)

特集 沖縄市の挑戦
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クリスマスファンダジー'06
表  紙
今月の人
恐れと立ち向かうこと
そこから強さと勇気を得ます
<176>平田 かおりさん(37)
 十月十五日、兵庫県で第六回全国障害者スポーツ大会「のじぎく兵庫大会」が行われた。同大会の車いす女子二十五メートル背泳ぎで金メダルに輝いた方がいる。平田さん。
 五年前に水泳を始め、昨年の国際オープンジャパンパラリンピックでも銀メダルを獲得するなど、数々の大会で活躍し続けた。「うれし涙が止まらなかった」と大会を振り返った平田さんに現在の心境を聞いた。


―障害を負った時期はいつですか、原因は
 平成四年交通事故にて、頸髄損傷の四肢障害麻痺、数日間意識は無かったです。

―あなたを奮い立たせたものは、
 全日本障害者水泳選手権を京都府で見て、沖縄からの選手が一人も居ないということで、私が代表にと決意。同じ肢体不自由者が泳いでいるのを見て、目から鱗状態でした。選手がすばらしく、生き生きし、かっこよく見えた。

―どんな練習方法でしたか、又、練習の日課も教えて下さい
 名護に脳性麻痺の方を指導している翁長コーチのもとへいき、「私にリハビリの水泳ではなく競泳の水泳を教えて下さい。」と話し、沖縄市の勝山コーチを紹介してもらい、練習開始。六月の九州大会にむけ自分の体調とあわせながらほとんど毎日、練習に励みました。

―過去の全国障害スポーツ大会やその他の大会などの成績を教えて下さい
 平成十四年九州障害者水泳選手権背泳25M・背泳50M大会新記録金メダル、平成十五年、十六年、十七年(同)背泳50M金メダル、同年国際オープンジャパンパラリンピック背泳50M銀メダル、同年九州障害者水泳選手権背泳50M自由形大会新金メダル、平成十八年全国障害者スポーツのじぎく兵庫県大会背泳50M銀メダル背泳25M金メダル

―あなたのモットーは
 努力に勝る天才無し。

―好きな言葉は、その理由は
 出会いは人生の招待状。ひとつの出会いで、人の優しさ温かさを分かるようになり、多くの人達との出会いが、私を強くさせている。自身の生き方を見つめそして、支えられて路を切り開く。

―あなたの性格は
 明朗活発。十四年前交通事故で頚椎を損傷した、別れもあった。愛する二人の子供を育てる母子家庭、そんな境遇があっても落ち込むことは無い。負けん気は並大抵ではない。

―引退の理由は、今後の目標は
 水泳に関しては、水泳連盟の立ち上げなどある程度の道筋はつけた。次の人達にバトンタッチしたいというのが、引退の理由。今後は、飲食業を起こす予定。身体・知的障害者や、母子家庭などを支援していく計画。「障害者だから、我慢しなさい」そういわれると、奮起してきた。自分で立ち向かう事が大切だ新たな目標として企業に挑む。

―金メダルに輝いたときの気持ちは、又、障害者の方々へメッセージがあればお願いします。
 25Mは自己新記録の金メダルで涙が止まらなかった。
 傷害は不幸ではなくただ不自由なだけ。立ち止まって、恐れと真正面から立ち向かうたびに、貴方は強さと勇気、自信を勝ち取ります。自分にはできないと思うことをやってみることです。

―最後になにか言いたいことがあればお願いします
 私達には自分のまだ知らない能力が隠れている。夢としか思えないような事を成し遂げる力がある。誰でもいざとなったら立ち上がって、前には不可能と思えた事でも立派に成し遂げる事が出来るのだ!
戦後文化シアター
今月のヒストリート
1970(昭和45)年12月20日、コザ暴動
 あっという間に師走です。平成18年は皆様にとってどんな一年だったのでしょうか?
 今から三十六年前の十二月二十日、ここ沖縄市で大きな事件が起きました。きっかけは道路を横断していた沖縄の男性と米軍人が運転する車による交通事故。被害者は全治十日の怪我でしたが、事故を知り集まって来た人々はささいな事故とは受け取りませんでした。これまで米軍人がひき逃げや死亡事故を起こしても適切に裁かれていなかったことに対する不信・不満や抑圧されてきた思いが一気に爆発、「アメリカ人を許すな」と言う声と共に黄ナンバー(軍人・軍属の車両ナンバー)の車を次々と横転させ放火しました。「コザ暴動」です。
 ヒストリートで、コザ暴動の写真を見た方から「今だから言うけど僕も車をひっくり返したよ」とか、「車から降ろされて車を燃やされた」と言う米国人などの話を聞くことができました。まさに普通の人々の間で起きた事件だったことが伺えます。
 「コザ暴動」についてもっともっと知りたくなったのではありませんか?残念ながら紙面ではお伝えしきれません。ぜひヒストリートへお越し下さい。
市史編集担当/
ヒストリート/
TEL 939-1212(内線2273)
TEL 929-2922
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