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◆ 広報おきなわ12月号(N0.390)

特集 沖縄市の挑戦
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クリスマスファンダジー'06
表  紙
●特 集 No.2
沖縄市の挑戦
 
にぎわいのまちの再生に
向かって船は動き出す
 街は人がつくるものを実践し、商店街の再生に人一倍、情熱を傾ける、コザショッピング通り会会長の仲程誠さん。商店街の各イベント等の企画や裏方、又ある時はリードマンとして走り回る。多くの人との交流から、まつりも街づくりも発展していくを持論とする仲程さん。コザ商店街連合会の発足を喜び、さらに商店街の強化に力を注ぐ。

 以前、沖縄市の広報紙の中で、“沖縄市の祭りと現状の課題”というテーマで意見を述べさせてもらい、その中で、“まつり=経済効果”を期待するものではなく、“地域の人々の気持ちの活性化”を促すもの、街は人がつくるもの、そういう観点から考えると“まつり”をする、それをつくり上げるため、多くの人の交流、生きた情報の共有、気持ちの活性化に繋がり街の活性化に寄与する、それが本来の“まつり”のもつ力ではないのだろうか!という理想論的な内容だったと思う。

 しかし、その理想的なことが現実に起こりつつある、現在ゴヤ地域中央地区には八つの商店街振興組合・通り会があり、様々な通りの勉強会・活性化活動が行われている。また音市場(ミュージックタウン)が来年の中旬にはオープンすることもあって“音楽でまちづくり”をスローガンにたくさんのイベントが開催されている。その中でも九月二日に開催したストリートライブ“ムーンライトフェスタ”は、商店街・通り会の垣根を越え共同で主催し大成功!私自身、この地域の活性化活動をやってきて各商店街、通り会主体で企画し作業したことは記憶にない。そしてそのイベントを機に各商店街、通り会の連携を強化し情報の共有化を図ることでこの地域の新たな可能性を確信し、一番街商店街振興組合・サンシティー商店街振興組合・センター商店街振興組合・コザゲート通り会・パルミラ通り会・胡屋大通り会・コザショッピング通り会・胡屋市場組合の連合会が十月に発足した。名称は“コザ商店街連合会”である。

 活動目的としては、沖縄市全体が推進する「音楽のまちづくり」の関連事業と連携し、停滞する沖縄市の中心市街地を再生し、次世代へよりよい形で引き継ぐことを目的とする。活動理念は情報を共有化し・共通の価値観のもと、共通の利益を追求する・若い世代と連携した活動を行う・商店街主導の活動を目指す。また活動の基本方針としては、商業の再生・賑わいの再生・まちなみの再生・組織の再生などである。


▲七夕まつりでにぎわう一番街商店街
次世代へよい形で引き継ぐ

 最近の活動として(賑わいの再生)十一月十六日ボジョレーヌーボーの解禁日に合わせ「ボジョレーパーティー」をストリートライブカフェで企画、大盛況で新たな地域の催しものと次年度にも期待がかかる企画となった。また(商業の再生)老朽化したアーケードの問題について一番街・サンシティーが中心となり専門知識・学識者を招き勉強会が行われている。そして組織の再生として毎月の定例会のなかにおいて、行政(沖縄市)や商工会議所から講師を招き勉強会・情報交換などである。

 最後に、ようやく同じ港(目的)に向かう船(連合会)の出航の門出に商店街・通り会の皆さん、行政(沖縄市)商工会議所・観光協会・コザ応援団の皆さん、暖かい応援と協力をお願いし一緒に“にぎわいのまち”の再生に頑張っていきましょう。

にぎわいのまちの再生に
向かって船は動き出す

 全国的に増え続けている空き店舗に歯止めがかからない。銀天街商店街もその典型である。郊外型大型店舗の進出やモータリゼーションへの対応など、様々な要因が重なり合って今日に至っている。

 かつての銀天街商店街は、最盛期で約百七十店舗の店が軒を連ね、県内でも有数の商店街としてその名を馳せた。同地域は戦後、田んぼや小高い丘だった場所に、各地から集まってきた人たちによって地域が形成され、自然発生的にできたまち。昭和二十七年にコザ十字路市場組合、翌年に本町通り会が結成され、その後、本土からの大型店舗の進出が激しくなり、多様化する顧客のニーズに応えるため、二つの商店街が合併して昭和四十七年、現在の銀天街商店街振興組合を発足して全盛期を迎えていく。そこには人が集った。商品の売買だけではなく、地域の人との情報交換の場や憩いの場として栄え、みんながこの商店街を愛し誇りに思った。そして時代が変わっても、商店街を、コザの街を愛する気持ちは今も変わらない。変わったのは衰退していく街並だけ─。 同商店街振興組合青年部では、今年の三月頃から勉強会を開き、今後のまちづくりについて積極的に議論を重ねている。五月十二日に行われた「コザ十字路の未来を語る会」には約二百名が参加し、商店街の今後について話し合った。同商店街振興組合青年部長の仲田健さんは「これだけの人が話し合いに参加したということは、それだけこの街のことを心配していることの証。街に活気を取り戻せば必ずみんな帰ってくると信じています」と話した。

商店街を愛する心の絆は固い、だから復活を
 銀天街商店街の活性化に奔走している同商店街振興組合青年部長の仲田健さん(左)と同青年部の西泊博光さん(右)。今年の三月頃から今後のまちづくりについて積極的に議論を重ねてきた青年部では、これまでの会議をまとめた銀天街再生プロジェクトを作成。「次は行動を起こす時」と意気込む。

 「コザは、戦後自然発生的にできた街である。人々はふるさとを離れ、コザにたどり着いた。コザはローカルに根ざす場所。その心にはいつもふるさとの歌が流れている。ふるさとの心は、人と人の結びつきを大切にする。それがいつか大きな輪になり、固い絆で結ばれる。そんなコザだからこそ、みんながコザで癒されるのだ。」(同組合青年部)
 「議論はした。次は行動に移す時だ」と締め括った。

昔も今も人々から親しまれるみんなの街、銀天街再生へ
▲にぎわいを見せていた当時の銀天街
 「安くて 買いよい みんなの街」をキャッチフレーズに賑わう銀天街商店街(写真は昭和56年8月1日当時)。旧盆や年末の大売出しには、コザ地域の方はもちろん、県内各地からお客さんが集まった。昭和53年に国の高度化資金を活用して近代的なアーケード、カラー舗装が完成し現在の姿に。
 
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