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◆ 広報おきなわ12月号(N0.390)

特集 沖縄市の挑戦
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クリスマスファンダジー'06
表  紙
●特 集 No.1
沖縄市の挑戦
立ち止まっているわけにはいかない。そこから動かなければ何も始まらない。
ときには止まって考えることも必要。そして、又、全力で走ることも──。
今、沖縄市の挑戦が始まる。
 
 大型店舗等の進出で地盤沈下現象を起こしている市内の商店街。目立つシャッターの降りた通り、増加する空き店舗。郊外型大型店舗のあおりを食らうかのように、厳しい状況が続いている商店街。「まちの活性化」「相乗効果」「再生」など、さまざまな言葉が飛び交う中、その、再生の道はどこにあるのだろうか。
 他人任せではだめ、今こそ市民一人ひとりが自分の住んでいるまちについて考える時にきているのではないだろうか。今月号はいくつかの商店街にスポットをあて、まちの再生について考えてみたい。
 
街は人が行き交い
商店街は憩いの場だった
今年8月に東京で行われた「GO-1(剛腕)グランプリ2006」で無差別級で日本一に輝いた南秀樹さん。
世界チャンピオンを目指しトレーニングを続ける(市内にある県アームレスリング支部ジム)

 沖縄市内の商店街は戦後、ゲート通りの第二ゲート付近に点点と店が集まり、やがて胡屋十字路方面へと広がっていったと言う。


▲土曜の夕刻時はライブを楽しもうと開催している「週末&街角ライブ」のオープニング
 それから、どんどん店は増え、現在の商店街の形を成してきた。やがて、一番街、センター商店街、サンシティ、ゲート通り、諸見里などに商店が並んだ。また、コザでは一九五二年にコザ十字路市場組合を結成、やがて、本町通りも出来、七二年に合併。銀天街商店街と名称を変えた。

 一番街は軍用地返還後の昭和三十年に小売業者がゴヤ中央市場を設立、その後、アスファルト、街路灯などが整備され、組合員数も増え、胡屋中央商店街に名称変え、沖縄市が誕生すると同時に市一番街と改称、市の商業の中心地と発展してきた。


▲今年のボジョレーヌーボーを味わおうと商店街には多くの人が集まった
 BC通りとも呼ばれたセンター通りは基地の街とともに繁栄、発展していったが復帰後は円高・ドル安や周辺の商店街の近代化の影響を受け昭和五十三年に法人化、市センター商店街振興組合が発足した。

 昭和五十七年のアーケード、カラー舗装後に改称したのが市サンシティ商店街振興組合。その前身は、ゴヤ中央商店街やゴヤオリオン通り会。

 それから、嘉手納航空隊の第二ゲートから胡屋十字路までの間に自然発生的にできた通りが当時のゲート通り、昭和三十一年に市空港通り会を結成。昨年、五月に改めてコザゲート通りに名称を変えた。そして、昭和二十八年に胡屋十字路のアスファルト舗装が完了し、設立したのが胡屋大通り会。昭和四十一年に日の出通り会として長年継続してきたが、通りの舗装などを整備、平成十年に市コザパルミラ通り会に改名、十五年にコザ中央通りに改称。十六年六月に再度市コザパルミラ通り会に改名した。さらに昭和六十二年の海邦国体のパレードの実施を伴う記念に、街路灯が設置された。それを機にコザショッピング通り会が結成された。

 あたりまえのことだが、当時はどの商店街も人が行き交い、買い物客が店に来て、買い物をして帰っていった。商店街からは笑い声が絶え間なく聞こえた。商店街は憩いの場だった。とにかく活気があった。売り手と買い手は勿論、客同士も顔なじみだった。にぎわいがあった。

 それから、数十年がたち、時代とともに商店街の形も変わっていった。

 増えていく空き店舗とともに、目立つシャッター。近隣市町村への大型店舗の進出や長引く不況で衰退を余儀なくされている商店街。「胡屋地区の商業は今、重大な転換期を迎えている。今が正念場。みんながひとつとなって打開策を見いださなくては」商店街の誰もが口に出すようになった。

 関係者は言う「年々、客が減っているのが実態。このままだと、どの通り会もつぶれてしまいますよ。生き残りがかかっているんです。ここで、なんとか踏ん張らなければとのおもいで、どの商店街もやっているんですよ。本当に深刻な問題なんだよ」と強く訴えた。

八つの通り会が結束
街は少しずつ動き出した
 商店街の危機的状況を訴え、打開策について前向きに立ち向かい行動していく。足腰をしっかり鍛え商店街を支える力を身につけなくては。日頃から勉強会に余念がない、市一番街商店街振興組合専務理事の宮城良市さん(右)とコザ商店街連合会会長の親川剛さん(左)。同連合会の頼れる存在として、その人望は厚い。持ち前の気合、ガッツをバネに商店街の再生を誓う。

 「見る街・買う街・憩いの街」のキャッチフレーズでテレビのコマーシャルでも流れていた一番街。七夕まつりや雪まつりなど、数々のイベント等で客を集め、なんとかしのいできたが、商業地域の空洞化に悩まされているというのが実態。

 イベントも言葉でいうほど簡単に出来るものではない。各商店街の多くのイベントの運営を青年部で担当するが、青年部もそうは若くない。「四十代後半の青年部もいるし、又、後継者のいない店もある」商店街全体の高齢化も進んでおり、世代交代も深刻な問題。

 そんな危機的状況に胡屋地域の八通り会が結束、平成十二年九月に商店街の生き残りをテーマにした緊急市民フォーラム「どうする胡屋」を開催した。胡屋地区の商業は今、重大な転換期を迎えているとの認識からの企画だった。

 それから六年がたった。なんとか危機的状況をくい止めているものの商店街をとりまく形態や環境など、いまだに厳しいものがある。

 さぁ、どうする。腕をこまぬいて見ているわけにはいかない。胡屋地区商店街の踏ん張りどころ。立ち上がろう、街を元気にしよう。「共通の価値観を持って商店街主導の街づくりを図る」ことを目的に胡屋地区の八つの通り会が結束、連携を深めながら行動していくことを確認し、「コザ商店街連合会」を結成した。

 去る九月に同連合会は初のイベント、「ムーンライトフェスタ」を開催した。さらに、十月に「JAZZとサンマ」を開催。十一月に「ボジョレーパーティ」を企画。通りはにぎわった。

数々のイベントを実践、そこから見い出す
▲多くの人が詰め掛けた
ムーンライトフェスタ
 商店街の活性化へ向けて一番街商店街振興組合を中心に胡屋地区の8つの通り会が結束。「ゴヤへ行こうよ」と呼びかけ開催したムーンライトフェスタでは、商店街の3ヵ所にステージを設けて、キッズ・ダンスやストリートダンス、アームレスリングなどを企画し、多くの観客が祭り気分を満喫した。

 通り会が集まり、企画を練り、実践する。リズムにのり少しずつ街は動き出した。しかし、勿論それで解決するわけではない。一番街商店街振興組合とサンシティ商店街振興組合は「今後の商店街の活性化について」と銘打ち平成十四年から毎月一回の割合で勉強会を行っている。内容も中心市街地の未来像についてや、市街地再開発など、より細かくより深く追求し、現実味のあるものに持っていく勉強会だ。両組合は、「アーケード街の再生にかかわる基本方針」として1、アーケード街の課題として・車利用による買い物行動の増加、@車による回遊性が乏しい。A無料の平面駐車場がない。2、アーケード街が今後目指すべき方向、@沖縄市における中心商業機能の再生として「最寄性商業機能」の回復と、ミュージックタウン構想に合わせた店舗の導入。あわせて、車が回遊しやすい道路と平面駐車場の確保。3、具体的な行動方針として、@短期的な方針・アーケードをいかしつつ、ミュージックタウン構想に合わせた店舗の誘致A組合事業として、集客イベントの展開。中期的な方針、面的整備を基本として、新たな商業施設群の造成。4、面的整備の内容として、都市再生土地区画整理事業の導入(保留地減歩のない区画整理)@公共減歩による車道と歩道の整備A車による回遊性の確保・ゆっくり歩いて楽しめる歩道や歩行者専用道路(モール)の整備、平面駐車場の確保B地権者による自主的な平面駐車場の整備C複数店舗による共同利用の推進(パティオドライブ)と無料化D新店舗ビルの建設と新たなテナントの導入──などをまとめてある。
 
商店街経営者の意識改革が大切
 
 商工会議所の通行量調査の結果から見ると、胡屋地区商店街の買物客の通行量が年々減少傾向にあり、六年前の半分以下に激減している。特に休日の通行量は六年前の四割程度で商店街は極めて厳しい状況が窺える。

 まず、サンシティは前年比においては増加傾向を示しているが、六年前との対比では半分程度で休日の通行量は比較的低い状況にある。

 街の中心にある一番街は年々減少の傾向にあり、この六年間の比較では平日が六割弱、休日は五割弱に落ち込み休日比が悪い状況にある。

 パークアベニューについても同様な傾向にあり、特に六年前との比較は四割弱で大幅な減少となって、休日の通行量だけは唯一増加している。

 また、空港通りは前年比においては通行量が増加しているが、六年前との対比では七割程度で比較的減少率は低く、休日比も九割強の状況である。

 旧コザショッピングセンター地域は、各店舗の撤退や労働金庫前の通行量を平成十三年から測定していないためもあって、通行量は極度に低下し活気のない状況にある。

 それに、胡屋大通り会も通行量の減少傾向にあるが、前年比の平日だけは僅かながら増加している。六年前の比較では六割弱に減少し、休日比も七割強で平日の通行量が多い状況となっている。

 いずれにせよ、胡屋地区商店街の活性化を実現するためには、その商店街経営者の意識改革が必要とされる。通行量が減少し、環境が変化し商店街が衰退の方向に進むと、個店経営者が大型店や他の地域商店街を過大評価し、また立地環境の不利のせいにし、手をこまねいて自らの経営努力を怠り保守的になるのは大禁物である。今こそ商店街の経営者の意識改革を図り、商店街全員と地域を巻き込む形で組織的に取り組むことが極めて重要である──。としている。


▲市一番街商店街
イベントなどを多彩に開催、活性化を図る一番街商店街
 空き店舗が増え、いつのまにかシャッター通りとも呼ばれるようになった商店街。意地がある。商店街が立ち上がった。八つの商店街が協力し合い、打開策を見いだし、再生して行こうと一つになった。コザの街は健在だった。よそから来る客にも存在感をしめしていかなくては、通り会の役員は語った。
 
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