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◆ 広報おきなわ10月号(No.388)

特集
広げよう 伝えよう 平和のメッセージ
平和を守る。平和を創る行動を
 沖縄戦は、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が行われ、住民や日米軍人など二十万人余の尊い命が犠牲となり、さらに自然や文化遺産はもとより社会基盤のすべてが破壊された。

 この沖縄戦の降伏調印式が一九四五年九月七日、沖縄市(旧越来村森根)で行われた。

 沖縄市ではこの日を沖縄戦の終結の日、さらに平和へ歩みはじめた日と位置づけ「沖縄市民平和の日」と定めた。又、市民が日常生活の中で平和を考え、話し合い、行動しようと市は、毎年八月一日から九月七日までを平和月間と称し、その期間中、沖縄地上戦の実相を広く世界へ発信するとともに、平和に関するさまざまなイベントを企画、市内外に平和の尊さをアピールしてきた。今月号は平和月間に行われた各事業を紹介するとともに、市民とともに「平和」について考える。
 
地域に根ざした草の根平和活動の展開を
 沖縄市は一九九三年に「沖縄市民平和の日を定める条例」を制定し、九月七日を「市民平和の日」として定めた。そして、日本国憲法と核兵器廃絶平和都市宣言(一九八五年六月二十日)の理念の基に、「すべての市民が人間としての基本的人権が保障され、戦争の不安を取り除き、二度と戦争の惨禍を繰返さない、許さない」ことを決意した。

 平和月間は「市民が等しく平和で豊かな生活が送れるように、また市民一人ひとりの生命を限りなく大切にする生活にとけ込んだ平和意識を創りだし、地域に根ざした草の根平和活動の展開をめざす」と高らかにうたっている。

 「語り継ごう次世代へ、平和な社会の尊さを」をテーマに二〇〇六年平和月間が八月一日、スタートした。
 
▲今は平和な広島も六十一年前は・・・。戦争の悲劇を風化させないためにも平和大使で得た教訓を語り継いで下さい ▲平成18年度の平和大使たち。広島の中学生たちと交流し平和について語り合った
▲戦争の爪あとを間近にして、改めてその悲惨さ、恐ろしさを学んだ ▲平成十四年度に平和大使として派遣された宮城一真さんによるミニコンサート ▲事前研修で学んできた平和について意見を述べ合う
 
沖縄市から平和を広く深く発信していこう
 八月一日、沖縄市平和月間の初日、市役所市民ホールで行われた平和月間セレモニーで東門市長は「世界では、地域紛争やテロ、貧困などにより、罪のない多くの人々が命を落としている。また、わが国においても周辺諸国の軍事的脅威をはじめ、日常生活においても残虐な犯罪や虐待、いじめなど、住民の平和な生活を妨げる問題が山積している。今こそ、戦没者の御霊に誓った世界の恒久平和を創造するため、私たち一人ひとりが同じ目標に向かって共に手を取り合い、ここ沖縄市から平和を広く発信していこう」と平和月間の開始を誓言した。

 続いて広島市へ派遣される沖縄市平和大使十六人が紹介され、平和大使を代表して、沖縄東中学校二年生の當真利乃さんが「戦争は何の関係もない罪のない人をどんどん殺していきました。まだ世界のどこかで戦争は起きています。それを止めることが出来るのは私達です。お年寄りの方々から学んだたくさんのことを今度は私達が次の世代へ語り継いでいかなければいけません。それは、私達に与えられた大きな試練です」。と訴え、同中二年生の久貝亮太君は「戦争で得られるものは結局なく、尊い命がうばわれるだけです。

 戦争はなぜ起こるのか、また、戦争はいつになったら無くなるのか、ということを、戦争を知らない私達は考えるべきだと思います」と力強く話した。
 
戦争について戦争を知らない私達が今、考えるべきこと
 八月一日の平和月間開始セレモニーを手始めにスタートした平和月間は同日、十六人の平和大使らが「月桃」を合唱した後、沖縄国際大学生の宮城一真さんのミニコンサートが行われ、独学で学んだ中国の古典楽器、二胡、中国笛、古箏などを演奏、市役所ロビー内に中国の原風景が浮かびあがってくるかのようなメロディーが流れ、観客をしばし癒しの空間へと導いた。宮城さんは、平成十四年度平和大使として広島へ派遣されている。

 今年は平和大使十六人が事前研修を終え、八月四日に広島市へ派遣された。平和大使らは広島市へ入ると、広島市戦跡めぐりを皮切りに、被爆者体験講話や平和記念式典参列など過密な日程をこなした。
 
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