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◆ 広報おきなわ4月号(No.382)

今月の人
競い合うのではなく
写真を語る場作りを
<168>具志 仙吉 さん(75)
定年後の生き方はそれぞれ違う。まだまだ、道のりは長い。人生の楽園さがしの旅へ誰もが歩みだす。

第二の人生、趣味を生き甲斐として日々、成長している方々もいる。

「外出はもちろん、散歩に出かける時もカメラをさげていますね」苦笑いしながら具志さんは話す。  現在、市文化協会写真部と斜光会の部長。写真にかける情熱は熱い。今月は具志さんに登場してもらい、写真へのこだわりや思いなどを聞いてみた。


具志さんは平成四年に具志川高校を校長で定年退職、退職後カメラを始める。しかしカメラとの出会いは在職中にあった。高校の物理の授業でストロボ写真による物体運動の撮影が必要となり、初めてカメラを購入、実験室での撮影がカメラとの最初の出会い。「当時は、人物や風景写真を撮るということは、ほとんどなかったですね」と言う。退職して二年後に市中央公民館講座で写真講座を受講、それをきっかけに写真クラブ「斜光会」を結成する。平成八年に初の写真展を開催会員十四人の作品二十六点が披露された。それから着々と斜光会は歩み始める。具志さん個人としては、市内の写真クラブが集った合同写真展の実行委員長を二度やった実績もかわれ、現在、市文化協会写真部の部長を務める。「部員がしっかりしているから部長がなりたっているんですよ」と笑う。写真部は市内の五つの写真グループの会員が主で会員数は六十人。モデル撮影会や写真教室などの事業の外、文化展などでの写真展を行っている。「会員の中には沖展や県芸術祭で入賞の実績を持っている方々も多く写真に対する意識も高いですよ」と部長としてのコメントもわすれない。個人としての写真の思いを聞いてみた「足七分、頭三分。写真は足で撮る、頭だけでは撮れないですね。泳ぎ続けないと餌にありつけない回遊魚と一緒で常に身を動かしていないと、よい被写体には巡り会えないんですよ」さらに続ける「写真を撮り続けていると自然に観察眼が鍛えられる気がしますね、ひらめき、判断力なども同様で脳の活性化にもよい、いいことだらけですよ」と目を細める。斜光会に話しはもどる。現在会員は二十人、ほとんどが校長職で退職した方々で年齢は七十歳代が大半、昨年十回目の写真展を開いた。各展示会での受賞経験者も多く、市内ではもっとも活動力のあるグループだ。具志さんは話す「写真で競い合うというより、写真の世界を共に語り合える場をつくる。それが大切だと思うんです。このメンバーは気心のわかる気の合う仲間達。しかし、口だけは達者、プロのカメラマンも勝てないと思うよ」と気さくに語る。

具志さんのモットーは「継続すること、頑張らないこと、怠けないこと」そして「孤掌、鳴らし難し」一人では何も出来ない、和が大切と説く。写真の外に詩吟、読書を趣味とする具志さん、あなたにとって写真とは「私の心と体を育む力の源」ときっぱり言い切った。
戦後文化シアター
今月のヒストリート
定価:500円
戦後六○周年の昨年九月七日(沖縄戦終結の日/市民平和の日)に開室した戦後文化資料展示室「ヒストリート」は、おかげ様を持ちまして来室者が一万人を越えました。

ヒストリートは、本市が長年にわたって収集してきた戦後の写真や当時の実物資料、戦後六○年間の年表が展示され、沖縄市の戦後史を気軽に知ることができます。

入り口に設置された実寸大の米軍基地フェンスの模型や再現されたAサインバーなどのユニークな展示が目を引き、「コザ暴動」「毒ガス移送」「全軍労闘争」といった戦後の大事件の写真が圧倒的な迫力でせまってきます。その一方で、ジュークボックスから流れるレトロな音楽が心をなごませませてくれることでしょう。戦後に関する文献・雑誌も豊富にそろっています。

このたび、市ではヒストリートに展示されている写真や実物資料、年表などを紹介したリーフレットを発刊しました(左)。この一冊で沖縄市の戦後がわかります。売り切れが予想されますので、早めにお求めください。
写真についての情報をお待ちしております。
連絡先:総務課・市史編集担当
電話:939−1212(内線2273)
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