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◆ 広報おきなわ(bR64)10月号

平和の大切さを伝える、
世界へ

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第21回
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沖縄国際カーニバル
表  紙
宮里中学校
二年生
波木井 賢
原爆による被害が最も分かるという原爆ドームを見学し、印象に残ったことや感じたことは「こんなにもすごい破壊力があるのか」ということでした。原爆ドームの壁やガラスの全く無い窓を見て、当時の状況がどのようなものだったのかうかがえました。この研修で過ごした四日間は、平和のことを深く考えるきっかけとなったすばらしい四日間でした。原爆が無くなってほしいと思いました。
宮里中学校
二年生
中村 紫帆
やすらぎ園では被爆体験者である、おじいさん、おばあさんから当時のお話をしていただきました。「かわいそう」の一言で終わらせてはいけない、そんな話でした。本当は忘れてしまいたいほどつらい体験を語ってくれ、感謝しました。けれど私達は「感謝した」で終わってはいけないのです。この話を、次の世代に語り継いでいかなければなりません。二度と過ちが繰り返されない様に。
山内中学校
二年生
新里 祥子
広島へ派遣されました。原爆ドームなどを見ました。私が想像していたよりも小さく見えて、残っていました。その後、被爆体験講話を聞きました。資料館では原爆により起こった熱線、爆風、高熱火災、放射線などで、未だにその後遺症で苦しんでいる人たちの写真や、そのせいで亡くなってしまった人たちの遺留品などがありました。とてもむごく、ずっと見てはいられませんでした。
山内中学校
二年生
井上 有輝
広島市原爆死没者慰霊式に参列しました。この式典には、被爆者や被爆者の遺族の方を始め、たくさんの方々が参列していましたが、みんな真剣な表情で式に参列しているのを見て、僕は本当にみんな平和を願っているんだなぁと心から感じました。その夜、原爆慰霊灯ろう流しに参加しました。僕は、広島の人は本当に平和を願っているんだなぁと感じ、とても感動しました。
美里中学校
二年生
仲宗根 慎
広島に派遣されいろいろなことを学んだ三日間。「命の尊さ」、「戦争の残酷さ」、「核兵器の恐ろしさ」、そして「平和の大切さ」を学んできた僕たちが平和を願う人々の先頭に立ち、『もう二度と戦争をしてはいけない、繰り返してはいけない、「戦争」、「核兵器」という言葉を忘れるくらいの「平和」を気付いていこう』とこれから呼びかけていくことだと思いました。
美里中学校
二年生
大城 華
被爆者である植田規子さんの講話を聞きました。講師の植田さんは被爆当時十四歳で、私とほぼ同い年だったことに驚きました。目に涙を浮かべながら当時の様子を語る植田さんは本当につらそうで、私がこの時代に十四歳として生きていられることはどんなに幸せなことなのだろうかと感じました。平和の意味を自分から周りへと発信していきたいと思います。、平和な未来を築くために。
コザ中学校
三年生
仲宗根 那美子
神田山やすらぎ園のおじいちゃん、おばあちゃんたちと交流しました。おじいちゃんが自分の弟を原爆で亡くしたと聞いたときは、とっても辛かったんだなぁと思い、泣いてしまいました。私は広島に行き、いろんな人と出会いました。その人達のおかげで、今の私がいます。皆さんに感謝したいと思います。私に平和学習をさせて下さって、本当にありがとうございました。
コザ中学校
三年生
大城 和也
国立広島原爆死没者追悼祈念館に行って、被爆体験者講話を聞きました。講師は植田規子さんという方でした。植田さんは、十四歳で原爆の放射線を浴びたのではなく、原爆直後の「黒い雨」を浴びて被爆したそうです。その時は、もう逃げるので一生懸命だったみたいで、まわりのことを気にする余裕はなかったそうです。広島で学んだことを伝えていくのが平和大使の役目だと思い、実行していきます。
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