<< [1]
[2]
[3]
[4]
[5]
[6]
[7]
[8]
[9]
[10]
[11]
[12]
[13]
[14]
[15]
[16]
[17]
[18]
[19]
[20]
>> |
◆ 広報おきなわ(bR63)9月号
|
|
人口40万人のベッドタウン、四季を通じて温和
|
豊中市は大阪市北部に接する大阪市圏の典型的な近郊住宅都市。市の総面積約三十六平方キロメートルにおよそ四十万近い人たちが生活している。また、高速道路が結節する道路交通上の要衝で、市内の南に工場地帯、西に国立大阪大学、大阪国際空港がある。平均気温は十五・四度、雨量の少ない瀬戸内式気候で、四季を通じて温和である。 大阪市に近い地の利と起伏に富んだ丘陵地帯は、早くから絶好の住宅地として人気。また、豊中市内には「千里ニュータウン」と呼ばれた有名な大型住宅市街地がある。昭和三十五年に大阪府が発表した三万戸、十五万世帯にも及ぶニュータウンの建設計画は、当時わが国はもちろんのこと、東洋一の大事業だった。 |
深いきずな広がる交流
|
|
▲ |
兄弟都市宣言に調印する下村輝雄豊中市長(故人・前列左)と町田宗徳沖縄市長(前列右) | | | 豊中市と沖縄市の友好は昭和三十九年、沖縄市が第二次世界大戦の戦没者遺族のために豊中市へ霊石と仏桑華を送ったことにはじまる。以来、都市問題、教育、文化の交流を重ね相互の理解と信頼を深めてきた。そうした背景をもとに両市は昭和四十九年十一月三日、兄弟都市を宣言。その後、昭和五十二年に豊中市民会館で沖縄市豊中市少年少女合唱交歓演奏会、五十五年に沖縄市民会館落成記念市民音楽祭に豊中市少年合奏団出演、昭和六十一年に豊中市制施行五十周年記念、兄弟都市児童画展、新成人を派遣する「新成人平和親善使節」事業(平成六年〜八年)、平成二年に琉球國祭り太鼓一行五十七人が豊中市を訪れ、同年沖縄市野球部が訪豊。翌年には豊中市野球部が来沖した。また、阪神大震災後は第二十八回豊中復興まつりに山里エイサー隊六十人が出演し、行政交流では平成四年に友好のシーサー序幕式、平成五年に豊中市友好の壁画序幕贈呈式、平成六年に豊中市交流協会の設立、平成八年に豊中市職員友好の会より桜の苗木三百本寄贈、平成九年に阪神大震災復興記念植樹記念として「豊中市・市民有志寄贈友好桜」を植樹。また、同年八月には第三十回豊中まつりで「沖縄がやってくる」と題して、島唄、琉球舞踊、古武道などを紹介した。平成十年から兄弟都市スポーツ交流サッカー大会(毎年) |
|
|
▲ |
仲宗根沖縄市長、浜比嘉沖縄市議会議長、一色貞輝豊中市長、中川昭吉豊中市議会議長、遠藤勝孝豊中市議会副議長(左から) | | | |
行政から市民レベルの交流へ 豊中・沖縄いちゃりばちょうでぇー会設立 |
昭和四十九年十一月三日に、豊中市と沖縄市で提携された兄弟都市宣言の主旨に基づき、市民レベルの相互の交流と友好、親睦を深めるため、提携三十周年、八月、豊中市で「豊中・沖縄いちゃりば ちょうでぇー会」が設立された。同会は市民同士が気軽に出会い交流、親睦を深めていこうとの目的で立ち上げられた。初代会長には豊中市OBの西山弘さんが選出された。
兄弟都市提携三十周年を機に両市の交流、きずなはますます深く、強いものとなっていくだろう。 |
市民同士が気軽に出会い交流できるよう楽しい会にしたいですわー | | | | |
|
<< [1]
[2]
[3]
[4]
[5]
[6]
[7]
[8]
[9]
[10]
[11]
[12]
[13]
[14]
[15]
[16]
[17]
[18]
[19]
[20]
>> |