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◆ 広報おきなわ(No354) 12月号



特集・「百年の眠りから甦る
知花花織」

ここが聞きたい知花花織
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表  紙

特 集・百年の眠りから蘇る知花花織
幸喜 新さん
知花花織復元作業所
担当嘱託職員
幸喜さんの経浮花織に関する修士論文が知花花織復元のきっかけとなった。現在は作業所で研修生達に技術を教えながら、本人も知花花織継承に積極的に取り組んでいる
私が、知花花織と出会うきっかけは、一枚の新聞記事(平成五年十一月二十二日沖縄タイムス夕刊記事)です。当時「美里花織(みさとはなおり)」と呼ばれていた織物が紹介されていて、私の生まれ育った「美里」の地名が付された織物の存在に強い衝撃を受けたことを記憶しています。それがどのような織物なのか、「美里」とは沖縄市の美里地域だけを指したものなのか、何の手がかりもないまま切抜きしたことを憶えています。それから、平成八年琉球大学大学院で修士論文の研究テーマを、「旧美里村における経浮花織技法の調査・研究および復元」に決めたことで本格的な取組が始まります。それから調査・研究を重ねていくなか、聞き取り(島袋秀子、池原ノブ、新里秀子さん在知花など)や、実物資料(後の市指定文化財)の発見などに起因し、名称を「知花花織(ちばなはなおり)」として位置づけました。さらに、「知花ウスデーク」との出会いも忘れられません。戦中戦後をとおし一時途絶えていたウスデークは、知花の女性達により戦後いち早く復活したと聞きます。しかし、古老の話によると、戦前は伝統的な美しい花織衣裳(晴着)を身に纏い踊っていたという祭祀が、戦後は残念ながら途絶えてしまったのです。その時大きな衝撃を覚えたのを今でも鮮明に覚えています。私は「このウスデークと花織衣裳をセットで復活させたい、一個人の単なる研究ではなく、私自身が地域のために貢献できることとして、たとえ一人でもこの仕事をスタートさせたい」と。それは「無」から「有」に変えたいと願う瞬間だったのかもしれません。

その後、仲宗根正和市長をはじめ、多くの支援者のご理解、ご尽力により「工芸による街づくり」事業の核として知花花織の復元・復興が据えられ推進されていることはいうまでもありません。

現在、知花花織復元作業所では知花花織研究会(会員十七名)と第四期研修生(六名)が日々技術の錬磨と研鑽に励んでいますが、知花花織の基本的な作業工程(意匠設計〔デザイン〕、琉球藍の染色技術と管理、色糸の染色、絣括り、製織〔機織〕など)は多く、技術習得までには長期間を要します。しかし、きっと研究生等は、これらの工程を一つ一つマスターし、将来的には指導者の中核として、知花花織の底辺拡大に貢献してくれると信じています。そのためには、継続した研修生の育成や、知花花織研究会の組織の充実、生産体制などの整備などが挙げられます。

それから、知花花織で使用される材料の一つに木綿の糸がありますが、現在は県外より取り寄せています。戦前は市内の至る所で盛んに栽培されていたと聞きます。近い将来、市内で綿花を栽培し原材料を確保することで「木綿の里」として知花花織の製品に新たな付加価値が加わるのではないかと、そう確信しています。

また、市内各、字のウスデークやエイサーで、演舞者が独自の花織衣裳を身に纏い踊ってもらうことで、誇りと感じられたらこれ以上の喜びはありません。

およそ百年の眠りから目覚めた知花花織。五十年後百年後も継承されるよう、試行錯誤を繰り返しながら前向きな姿勢で進んでいます。「夢」を語り、「誇り」の持てる地域の染織文化として位置づけられるよう、これからも知花花織に取り組んでいきたいと思います。
●知花花織とは
旧美里村知花、登川地域などで広がったとされる織物技術で、特徴としては紋様が縦方向に浮く花織です。おもに村の祭りやウスデークなどの晴着として着用され、十九世紀後半にはすでに技術・技法が定着していたと考えられています。

しかし、去る大戦を機に一時途絶え、今日ではそのほとんどが見ることのできない織物です。

現在沖縄市で、百年以上前の染織品は数点のみ確認でき、非常に貴重な資料と言えます。そのことから、県内ではじめて市指定有形民俗文化財に三件が指定され、文化財としての保存、活用も図られようとしています。

また今年、知花花織復元作業所も開所され、伝統から現代へ地域独自の染織文化として、蘇らせる試みも始まった織物です。
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