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◆ 広報おきなわ(bR49) 7月号

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暴走行為根絶を
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青少年の深夜はいかい
防止県民一斉行動
表  紙


▲開演直前。バチを持つ手にも、
力がはいる



子供達のすこやかな成長を
となりで一緒に見届けませんか


・山里子ども会・
 
市内の最も活動的な子ども会のひとつに、今回紹介する山里子ども会(山川左斗子会長)がある。現在の会員数は大人、子どもあわせて約九十名(子ども四十四名)で、最近は増加傾向にあるという。近所付き合いが明らかに減少している昨今。そんな中でのメンバー増加の要因には、子どもたちを健全に育てたいという強い気持ちと、新しい取り組みの導入がある。
同会は、日々新しい取り組みを模索している。その中で、最も特徴的であるといえるのが、七年連続出場の沖縄国際カーニバルでのエイサー。他の子ども会エイサーとは異なり、地元青年会と共演する点に独自性がある。八十〜九十名の圧倒的な規模で繰り広げられる演舞は、見た目にも楽しく、また豪快な音が辺りに響き渡り、観衆の心をとらえて放さない。このスタイルは一昨年前から取り入れられたばかりで、共演の実現には青年会の協力と、島エイサーを崩さない姿勢が不可欠であったという。その他の舞台には、山内中学校協力のもと、青年会同士で話し合いが実現した山内、久保田そして南桃原地域との合同まつり「風山祭」、福祉の心を育むための特別養護老人ホーム「おきなわ長寿苑」や山里整形外科医院への慰問演舞などがある。また、エイサー以外にも環境学習の倉敷環境衛生施設見学や、親子体験学習のシーサーづくり、史跡めぐりや工場見学などの学習活動も常に変化を持たせ、活発に行っている。
「私たちの子ども会では、子どもたちの健全育成を共通の目的として、住民が一体となって活動することを重要視しています。実際に、子や孫がいないにも関わらず、育成者として子ども会活動に参加している人もおります。」と話すのは、島袋宏文さん。山川会長は「地域には体育、文化など各分野に精通する人が多くいます。その豊かな経験を発揮してもらい、あいさつや上下関係などの大切さを子どもたちに伝え、すこやかに成長させたい。」と子ども会への積極的な参加を呼びかけた。
▲自慢の作品、自慢のお母さんと
記念撮影「ハイ、ポーズ」
 

 
 
エイサーの始まり『悪払いから』
島袋次郎(明治三十四年四月七日生)知花
 
エイサーの始まりは知花からではないかと思う。お父さんに聞いた話だが、お父さんは昔の人から伝え話として聞いたものだと言っていた。
どういう話かというとだな・・・
シチグワヮチ(盆)になると、後生の人はみんなそれぞれの家に帰るが、帰るところのない無縁仏はアジマー(十字路)で盆のウークイ(精霊送り)が済むまでユラユラして立っているそうなんだ。それを生きている人が見て驚き、病気になったり、死んだりするので『ディー(さあ)、こんなことが度々あっては大変だから、チヂン(太鼓)や鐘を打って追い払おう、知花の人みんなでやれば、どんな悪魔も払い除けることができる』ということになり、村中の人みんな総出で『エイ、サー、エイ、サー』と言って、各家々を一軒残らず歩き回り悪払いをしたそうだ。エイというのは昔の人が使った槍のことで『エイ、サー、エイ、サー、サーサーサー』と太鼓を打ちながら行ったそうだ。
それからエイサーが始まり、その後、他の村にも伝わり、沖縄中に伝わったのではないかと思う。これはたんなる行事ではなく、悪払いからきているものだよ。
注 1ディー・・・誘いかけるときに発する言葉。

 

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