カフンジャー由来(1) 松下盛一(明治四五年五月一〇日生)池原
昔ね、山原で金持ちの夫婦がなかよく暮らしていました。 ある時、スクブ御嶽に住んでいる大将が山原に出掛けたおりに、その妻を見て好きになり、夫のもとから連れ去っていきました。残された夫は悲しさのあまりクーヤー(乞食)になり、国々をさまよい歩いていました。 ある日、スクブ御嶽の所の家で物ごいをすると、なんと、そこは自分の妻だった人の家であったそうです。男は先妻に、 「アワリソーンドー ヤー(哀れ、悲しんでこうなっているんだよ)」 というと、先妻は寒さを防ぐための藁や筵と一緒にそっとお金を入れて持たせてやりました。男はカフン川の所で暖をとろうと思い、さっき貰った包みの中にお金が入っているともしらないで、火をつけて燃やしてしましました。すると、燃えかすの中にお金の形をしたのが残っているので、 「フーンネーラン、カフーン ネーランカフンジャー(果報、幸運もないね私は)」と嘆いたそです。 そのことから、この川は1カフンジャーといい、今でもそう呼ばれています。
注 1カフンジャー・・・沖縄県立美咲養護学校入り口に位置する沖縄市指定文化財の石橋。明治末期から大正の初期頃に造られたといわれ、橋の移り変わりを知るうえで貴重な建造物です。 |