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◆ 広報おきなわ(No347)  5月号

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「人間も自然の一部」
市民皆参加で元の清流を取り戻そう


▲比謝川下流にて水生生物の調査を行って
いる子ども達

  比謝川をそ生させる会(中根章会長)は、昭和四十九年十二月二日に「比謝川をかつてのような清流にしよう」、「次世代に自然な川を残そう」と目標を掲げ、全水道沖縄や教師等など何らかの関わりもしくは興味のある人たち約五十人の会員で結成。だれでも自由に参加できる会とするため堅苦しい規約等は無く、そのせいもあって現在の会員数は約二百人と大きく膨れあがった。比謝川の全流域で調査や清掃活動等を展開。また、地域住民に関心を持ってもらおうと、水に関わる講演会やイベントの開催を行う等、活動域は広範に及ぶ。
 同会の活動は、比謝川の河川踏査や水質・生態系調査、清掃活動をはじめ、講演会、イベントを

催すなどによる浄化運動である。河川踏査や水質調査は、春、夏、秋、冬と年に四回、定期的に行い、汚染の原因を探る。清掃活動は毎年一回、環境週間の日曜日に沿線自治会(胡屋、照屋、安慶田、室川、嘉間良、城前、越来、松本、知花の各自治体)から約千人余の人々が流域に繰り出し、ゴミを一掃する。そしてイベントには、毎年旧暦の九月十六日に沖縄こどもの国で開催している「毛遊び(もうあしびー)コンサート」がある。比謝川の源流である沖縄こどもの国支援を兼ねたこのイベントには、人気民謡歌手がボランティアで参加。会場に足を運ぶ人は多く、″コザ名物〃と呼ばれるまでに発展している。
   活動開始当初、水質の汚染度を示す指標の一つである生物科学酸素要求量(略称 BOD)は、最も汚れていた地点で四〇〜六〇PPmであった。しかし、平成十三年六月には同会が活動目標に掲げた一〇PPm以下の水質を実現。同会発足から二七年目にして達成した。中根会長は「会発足当時は、白い目で見る人もいた。しかし、今では多くの人々に協力してもらっている。環境問題はみんなで考えるものであり、もっと関心を持ってほしい。川もなぎさも山も海も、われわれの大切な住みか。市民参加の川・自然づくりを」と、市民に呼びかける。


▲農連市場付近での水質調査の模様


カフンジャー由来(1)
 松下盛一(明治四五年五月一〇日生)池原

 昔ね、山原で金持ちの夫婦がなかよく暮らしていました。
 ある時、スクブ御嶽に住んでいる大将が山原に出掛けたおりに、その妻を見て好きになり、夫のもとから連れ去っていきました。残された夫は悲しさのあまりクーヤー(乞食)になり、国々をさまよい歩いていました。
 ある日、スクブ御嶽の所の家で物ごいをすると、なんと、そこは自分の妻だった人の家であったそうです。男は先妻に、
「アワリソーンドー ヤー(哀れ、悲しんでこうなっているんだよ)」
というと、先妻は寒さを防ぐための藁や筵と一緒にそっとお金を入れて持たせてやりました。男はカフン川の所で暖をとろうと思い、さっき貰った包みの中にお金が入っているともしらないで、火をつけて燃やしてしましました。すると、燃えかすの中にお金の形をしたのが残っているので、
「フーンネーラン、カフーン ネーランカフンジャー(果報、幸運もないね私は)」と嘆いたそです。
 そのことから、この川は1カフンジャーといい、今でもそう呼ばれています。

注 1カフンジャー・・・沖縄県立美咲養護学校入り口に位置する沖縄市指定文化財の石橋。明治末期から大正の初期頃に造られたといわれ、橋の移り変わりを知るうえで貴重な建造物です。


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