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◆ 広報おきなわ(No344)  2月号

小さな働きの中から生まれる感動を大切に
愛の泉子ども会

 

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作品展の前で記念撮影する愛の泉子ども会のメンバー
 「子どもたちに肌で感じる感動を知ってほしい」。学校週五日制を生かし、幼い頃から地域でのボランティア活動や社会体験を通して、子どもたちの健やかな心の成長を応援したいと頑張っている愛の泉子ども会の金城キヨ子会長。愛の泉学童クラブの園長であり、沖縄市子ども会育成連絡協議会副会長も務める。今月は、学童クラブから始まった活動が、沖縄市子ども会育成連絡協議会に加盟し、学校が休みとなる土、日、祝祭日を利用して地域との交流やボランティア活動に取り組む愛の泉子ども会を紹介する。
 学童の卒園児や高原校区の子どもたち約70人で活動している愛の泉子ども会。親子マラソンやウォーキング大会、木工や焼き物、押し花、絵手紙、手話などの取り組みに加え、学校が週5日制になってからは「愛の泉クリーン隊」を結成。黄色の手作り腕章を腕に着け、地域の公園や通り沿い、泡瀬海岸の空き缶やゴミを拾い、街の美化に貢献する。また、老人福祉施設慰問で踊りや手話を披露し作品をプレゼントしている。帰り際「ありがとう。またくーよー」そう言っておじいちゃん、おばあちゃんたちが子どもたちの手を握る。小さな働きかもしれないが、子どもたちにとっては確実に何かを学んでいる一瞬である。
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去年12月に市役所市民ロビーでエイサーや踊りを披露した「愛の泉うーまく太鼓会」
 先日、子ども会の活動紹介と作品展が市役所市民ロビーで開かれた。沖縄市子ども文化芸能まつりでも表彰された「愛の泉うーまく太鼓会」のエイサーや踊りもランチタイムを利用して披露され、大きな拍手をもらった。その場で動物のためにとおこづかいの中から少しずつ貯めたお金が子どもたちから高良助役と沖縄こどもの国副園長へ手渡された。
 「無感動・無関心の子どもが増えている今、環境を作ってあげることは大人の責任。保護者も子どもたちの活動には協力を惜しまない。まずはやってみる事。その反省を踏まえ、また次へチャレンジです」温かく子どもたちを見守る金城さんの笑顔がそこにある。

 

風のスケッチ
 戦後の一時期、沖縄全島で灯火管制を含む防空演習が度たび実施されていた。「灯火管制」とは夜間、敵機の来襲に備え、地上の状況を悟られないように減光・消灯すること。
 戦時中の沖縄は頻繁に灯火管制が敷かれたが、敗戦と同時に明るい夜を取り戻した。だが、1950年6月の朝鮮戦争勃発によって沖縄は米軍の前線基地と化し、7月には軍命により沖縄民政府が灯火管制実施計画を樹立。各首長は住民地域での灯火管制の実施に責任を負い、同月から灯火管制が行われた。翌年1月には米国民政府が防空心得を通達し、各市町村での《警防団》設置を定めた。
 朝鮮戦争後も「敵の侵略から住民の生命と財産を守るため」に灯火管制は実施され、本市ではコザ署が管内の各自治体や消防隊などの関係者を集め、その打合わせを行った。
 59年2月12日の晩に行われた灯火管制の状況を、米軍機で視察した報道関係者が次のようにレポートしている。
 嘉手納基地を飛び立った米軍機がコザ上空へさしかかると、基地の街の灯がバタバタと消え下界の消灯が始まった。米軍機は南へ。牧港、那覇の街は墨をぬったようにまっ暗だが那覇を過ぎ、農村地帯に入ると点々と灯りが見える。飛行機の爆音に驚いてか、その上空にさしかかるとパッパッと次々に電気が消されていく。(再度)那覇上空に入った時、管制解除。一斉に電灯やネオンが点灯され、街や村は再び明るさを取り戻した。
 灯火管制、「9・11」以後の県内各基地や空港での厳戒態勢…。基地の島・沖縄は政治状況や国際情勢の変化により、これからも何らかの影響を受ける恐れがありそうだ。
 (H)


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