今月の人

こども議長として大活躍

282/伊佐 優華(いさ ゆうか)さん(14)

 こども達がまちづくりに参画し、意見を表明するとともに、地方自治の仕組みを学習することを目的に、第2回 沖縄市こども議会が8月に開催され、市内8中学校の生徒21人が、質問や提案を行った。今回は、こども議会で議長を務め、議会運営に携わった伊佐優華さんに、こども議会の感想などについて聞いてみた。

伊佐 優華さん

 第2回沖縄市こども議会は、8月20日に市内8中学校の生徒21人が参加し開催され、伊佐優華さんは、こども議長を務めた。
 優華さんは幼い頃、人見知りでおとなしい性格だったが、小学6年生の夏に開催された、キジムナーフェスタの演目として、一番街で行われた、コミュニティーダンス「コザの息」に参加し、振付ダンサーのマニシアさんに出会い、自己表現について感銘を受け、社交的な性格に変わったと話す。
 こども議会に参加したきっかけについて優華さんは、小学5年生の頃、一番街近辺で地域のこども達を対象に、様々な遊びを提供するわくわくらんど遊び塾に通っており、塾スタッフから他県では、こども達が議員を務めるこども議会が開催されていることを聞き、中学2年生の朝礼で、学年主任の教諭から、こども議員を募る呼びかけがあり「沖縄市のことをもっと知りたい」と、強く思い、すぐに応募したそうだ。
 優華さんは、昨年開催されたこども議会にも参加し、こども議員を務めた。また、今回は、議長として議会運営に携わり、本番前には他のこども議員に立ち居振る舞いや、発声練習を行う呼びかけなどを行い、議会以外でも、こども議員らを取りまとめる役を務めたり、親睦を深める場を作ったりしたそうだ。10月に行われた、議会報告の新聞作りと、各学校で議員報告を最後に、12月末で任期満了となる。
 こども議員の任期を終える優華さんは「これまで沖縄市について色々と勉強し、私たちが提案したことが、まちづくりに良い働きかけになって欲しい」と話す。
 来年4月には高校生となる優華さんは「次回のこども議会では、サポーター役として新しいこども議員を支援し、もっと、沖縄市のまちづくりに関わりたい。また、議員定数の30人を集めたい」と、意気込んでいる。
 優華さんは、これまで美術部や硬式テニス部に所属し、教科は国語と化学を好む、文武両道の生徒だ。将来の職業については「これからもっと色々な経験をして、自分に合うものを探したい」と、いきいきと答えた。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 ヒストリートⅡで、企画展「終戦70周年戦世の子どもたち(コザ孤児院)」を開催中です。
 コザ孤児院は、米軍が沖縄本島上陸後、嘉間良一帯に設置した難民収容所キャンプ・コザ内にあった施設の一つで、終戦後、沖縄に置かれていた13か所の孤児院の中で最大規模の収容能力をもっていました。
 米軍の孤児院政策は孤児の囲い込みが目的で、福祉は優先されていなかったのか、子どもの死亡数が多かったといいます。
 本島南部で米軍に保護され、コザ孤児院に連れてこられた、ある元孤児の方は、栄養失調でお腹がぷっくりと膨(ふく)らんでいたため、母屋(おもや)奥の囲いの中に寝かされていました。寝返りを打つことができないほど、ひどく衰弱し意識も朦朧(もうろう)としていましたが、米軍医の治療を受けることができ、体力を回復しました。しかし、一緒に寝かされていた孤児の多くが息を引き取ったそうです。
 その方は数か月後、那覇の夫婦の養女に迎え入れられ、20歳で結婚。現在は多くの子や孫に囲まれ幸せに暮らしています。
 子どもたちが過ごした孤児院の様子、戦後の人生を通して、戦争、平和について考える機会になればと思います。

戦災孤児たち 1945年8月4日 資料:沖縄県公文書館
戦災孤児たち 1945年8月4日
資料:沖縄県公文書館
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