今月の人

差別なく誰もが交流できる明るい市民であるように

280/仲村(なかむら) カツ子さん(72)

 人権擁護委員は、いじめや差別、近隣住民とのトラブル、インターネットでの誹謗中傷、プライバシー侵害など、日常生活の中で起こる人権上の問題や悩み事の相談に応じ、一緒に解決に向けて取組む地域の相談相手である。
 今回は7月から人権擁護委員4期目を務める仲村カツ子さんに話を聞いてみた。

仲村 カツ子さん

 仲村カツ子さんは、52歳の頃から沖縄市役所保護課のケースワーカーとして、生活保護受給者の安否確認、戸別訪問、生活や自立に関する相談など、様々な福祉支援を務め、平成17年に市平和・男女共同課の推薦で、人権擁護委員に委嘱され、今年で10年目(4期目)となる。
 人権擁護委員とは、日常生活の中で起こる人権侵害や、悩み事の相談を受け、問題解決の援助を行い、地域住民が幸せに過ごすために手助けをする地域の相談相手である。元教員や民生委員、PTA活動経験者、看護師、助産師、保育士など様々な専門分野の方々が法務大臣から委嘱され、人権擁護委員法に基づき、積極的な活動を行っている。例えば、高齢者や障がい者、子どもへの虐待、DV(ドメスティックバイオレンス)、学校や職場内いじめ、インターネットでの誹謗中傷や性被害などの相談に応じ、迅速な対応を行っている。
 沖縄市では、7月1日に、人権擁護委員の委嘱状等伝達式が行われた。仲村さんは「沖縄市は人権擁護委員の活動が活発だ」と話す。沖縄市の人権擁護委員は、13人おり、市内小中学校に赴き、人権教室を開いている。人権教室では、インターネットでのプライバシー侵害やいじめ、暴力、仲間外れなどのテーマに基づき、生徒らと話し合い、友達を思いやる心の重要性と、身近にいる先生や家族に相談することを教えている。また、一人で悩まず、自分を大切にするために勇気を持って相談する「SOSミニレター」(便せん兼封筒)の紹介や周知に取り組んでいる。以前、仲村さんが小学校で人権教室を行った時、1人の児童が近づいてきて「僕はお友達と仲良くするよ、いじめたりしないよ」と、こっそり話をしてくれたことがあり、その時「人権擁護委員をやってよかった」と感じたそうだ。
 人権擁護委員は、毎月初めに市役所1階ロビーで「人権困りごと相談」を開設している。気軽に誰でも相談できる場を提供し、様々な問題解決の援助をしている。さらに月に一度、人権擁護委員連絡会があり、その中で勉強会を行い、各委員同士で情報を共有しているそうだ。
 趣味は山登り。富士山は7回登山した経験があり「登山は、自分の弱さを克服する鍛錬の場。私は逆境にめげない性分です」と話す言葉には、仲村さん自身の精神力の強さを感じさせる。
 最後に、仲村さんは「沖縄市民は、誰にでも親しみ易い人柄で、国際色豊かな都市にふさわしく、差別のない地域社会を築ける市民であって欲しい」と、思いを語った。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

■降伏文書の写しを展示

 今回は、1945年9月7日に本市の字森根(現、嘉手納基地内)で執り行われた南西諸島の降伏調印式について紹介します。
 1945年8月26日、沖縄を攻撃した第十軍の司令官は、9月2日(日本の降伏調印日)以降に琉球列島の日本軍の降伏を受諾するよう命じられ、琉球の主要な島々に降伏を勧告するメッセージを投下。これに応じた宮古地区・徳之島・奄美大島の日本守備軍の将校たちが、9月6日に読谷飛行場に到着しています。
 調印式当日の7日、米戦車やライフル小隊が参列し、大勢の米軍兵士が見守るなか、午前11時、陸軍地上部隊の楽団によるアメリカ民謡「THE OLD GREY MARE(年老いた灰色の雌馬)」が演奏されて、式が挙行。日本軍将校3名は6枚の降伏文書に署名し、スティルウェル大将が降伏を受諾する署名を行うと、調印文書は署名した各日本軍将校に手渡され、式は終了しました。
 この日を境に沖縄戦が終結し、戦後への歩みが始まります。
 ちなみに調印場所は整備されて、現在はピースパークと呼ばれ、沖縄戦や戦後を語る歴史的財産のひとつとなっています。
 終戦そして降伏調印から70年、あらためて沖縄戦や戦後を考える機会にしてみませんか。

降伏調印式の様子を伝える新聞
降伏調印式の様子を伝える新聞
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