今月の人

女性ならではの視点でより良い沖縄市を目指す

267 与那嶺 奈美子(よなみね なみこ) さん (63)

 今回は、5月に沖縄市女性団体連絡協議会の新会長に就任した与那嶺奈美子さんを紹介する。同協議会は、市内13の女性団体で構成され、女性の地位向上に向け、講演会の開催や他市町村女性団体との交流、ボランティア活動など様々な活動を行っている。今月は与那嶺さんに、これまでの活動や今後の抱負について話を聞いた。

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 与那嶺さんは、沖縄市女性団体連絡協議会(女団協)の構成団体の一つである沖縄市母子保健推進員協議会の一員として平成2年から、市内の母と子の健康を見守るサポーターとして活動してきた。母子保健推進員は、乳幼児未受診児訪問活動や産後ママ教室などに携わり、子育て中の母親の相談を受けアドバイスしたり、保育園で食育劇を行いこども達に『食』の大切さを教えるなど、母子保健の推進と向上に力を発揮している。その母子保健推進員協議会の会長を五年間務め、去年、協議会の40周年記念事業を無事に終えることができたのを機に会長を退任し、今年5月に女団協の会長に就任した。
 女団協は、市内で活動している沖縄市婦人連合会や沖縄市赤十字奉仕団など13の女性団体で構成されており、女性の地位向上のため、講演会や学習会を開催し知識を深めたり、市内のみならず他市町村の女性団体との交流や支援活動を行ったりしている。他にも沖縄こどもの国でのボランティア活動や沖縄市議会を傍聴し、市政への関心を高め社会参加への促進も図っている。
 女団協は女性のことだけを考えていると誤解されることもあるが、実は男女の性別にかかわりなくお互いが同じように相手を敬い、その個性と能力を十分に発揮できる男女共同参画社会の実現を目指している。
 与那嶺さんはこれからの活動について「自分たちが女団協として、沖縄市を良くしていくために何ができるのか考えたい。中心市街地の活性化や沖縄こどもの国の拡充など女性ならではの視点を活かせるように、色々なことを学びメンバー同士で話し合い、提案し実現させていきたい。また、男女がお互いを尊重し、なんでも話し合え、分かり合える風通しの良い開かれた社会の実現に力添えができれば嬉しい」と語った。
 与那嶺さんは、女団協会長や母子保健推進員だけではなく、民生委員児童委員、沖縄市食生活改善推進員、沖縄市農漁村生活研究会でも活動し、そのどれもが、『人のためになる』ということで共通している。これからも様々な活動を通して、与那嶺さんの豊富な知識でみんなの良き相談相手として、また、男女共同参画社会へ一歩ずつ近づいていけるよう尽力していく。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリートU」では、8月7日(木)より「沖縄市の沖縄戦」展を開催します。そこで今回は、沖縄戦がきっかけとなったあるエピソードを紹介します。
 時はちょうど50年前の1964(昭和39)年。沖縄に視察のため訪れた大阪府豊中市助役の竹内義治氏(故人、のちに市長)が、当時のコザ市長であった大山朝常氏(故人)と懇談し、「豊中市出身者150名が沖縄で戦死しているが、ほとんど遺骨も帰ってきていない。何か記念になるものがほしい」と相談します。そこで大山氏は糸満市摩文仁の海岸の石を白木の箱に納め、豊中市に贈りました。遺骨を迎えることができず、また、沖縄へ渡るのも容易ではなかった時代のこと、豊中市の遺族たちは大変喜んだようです。これをきっかけとして豊中市はコザ市職員の研修を受け入れ、両市の交流が始まります。
 その後も両市の交流は続き、1971(昭和46)年にはこどもの国に「少年の像『合奏』」が贈られます。1974(昭和49)年に沖縄市が誕生した際、両市は改めて「兄弟都市」を宣言しました。沖縄戦で家族を失った遺族への慰めから始まった両市の交流。「兄弟」の絆はこれからもますます深まっていくことでしょう。

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豊中市から贈られた「少年の像」除幕式
1971年2月
(津覇ヨシ子氏提供)

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