今月の人

沖縄市に"三線プリンス"現る

257 HIKARI(ひかり) (14)

 今月紹介するのは、沖縄市で"三線プリンス"として活躍中のHIKARI君。去年はデビューアルバム「光」も発売し、今年は新年祝賀会や沖縄市産業まつりなど市の様々なイベントで演奏を披露している。今月はそんなHIKARI君に、沖縄芸能への思いや今後の目標について話を聞いた。

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 HIKARI君が沖縄の民謡に親しむようになったのは、両親が「まつり」好きで、小さな頃からいろいろなまつりに連れていってくれたことがきっかけだそうだ。どのまつりでも必ず三線や太鼓の音が聞こえ、いつもワクワクしていた。8歳の時に、HIKARI君が沖縄民謡に興味があることを知った母親の知り合いからカンカラ三線をプレゼントされ、毎日夢中になって弾いていたという。その後、9歳から本格的に三線の研究所に通い始め、現在は、民謡だけではなく琉球古典音楽も習い、日々腕を磨いている。
 小学校高学年のころに才能を開花しはじめ、11歳の時に琉球民謡協会主催の民謡コンクールで新人賞を受賞した。その腕前を親戚の結婚式や地域のまつりで披露して喜ばれてきた。2年前にはコザ・ミュージックタウン音市場で行われた「島若人(しまわこうど)の集い」というイベントで、池田卓(すぐる)さんや仲宗根創(はじめ)さんといった方々と同じステージに立った。
 去年の6月には、全8曲収録のデビューアルバム「光」を発売。変声期前の音源を残しておきたくてCD発売に踏み切った。そのCD発売記念ライブでは、会場に入りきれないほど多くの観客が訪れ大盛況だったそうだ。またこのCDには大好きな祖母への思いを込めたオリジナルの曲も収録されている。
 HIKARI君は三線だけではなく、太鼓も演奏する。太鼓の話を質問した時にこれまで少し緊張した面持ちだった表情が「ぱあっ」と明るくなった。本当に太鼓も好きで仕方がないという様子であった。その太鼓でも今年、古典音楽太鼓部門新人賞を受賞した。同じ年代の子がアイドルやJポップ、洋楽などを聞いている中、彼を心躍らせるのは「沖縄民謡」であり、りんけんバンドやネーネーズなどの沖縄ポップスなのだ。
 10月12日・13日にコザ・ミュージックタウン一階特設ステージで行われる「音のページェント 根音(にーうとぅ)ウマチー」にも出演が決まっており、素晴らしい先輩方と共演させてもらうことで多くの事を学びたいと話していた。
 これからもっと練習を重ね実力をつけ、将来は沖縄ポップスにもチャレンジしていきたいと夢は膨らむばかりだ。また、音楽の力で大好きな沖縄市を盛り上げていきたいと考えている。まだまだ若いHIKARI君の今後の活躍が楽しみだ。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 去った8月からはじまったヒストリート企画展「沖縄市の沖縄戦―そして戦後へー」に引 き続き、今月16日から「戦世(イクサユー)の子どもたち(コザ孤児院(こじいん))」を開催します。
 沖縄戦で親や家族を失った子どもたちを収容した「コザ孤児院」は米軍によって嘉間良を中心に設置された難民収容所のコザキャンプ内にあった施設の一つでした。
 コザ孤児院に関する資料を見ると、設置を決定したのは1945(昭和20)年5月19日で、戦 禍(せんか)を免(まぬが)れた2軒の家があてがわれ、その周辺に運動場・遊び場、テントなどの施設が整備されていったようです。当初、200名規模の定員を予定していましたが、7月下旬には約800人を数え、当時、県内におかれた10ヶ所の孤児院の中で最大規模の収容であったようです。
 2010(平成22)年6月、「コザ孤児院慰霊祭」を行いましたが、これを機に、今は70代、80代になった孤児たちが今まで封印していた過去の記憶を、少しずつ語りはじめています。戦争を体験し、孤独と向き合い、幾多の困難を乗り越え、戦後を生き抜いてきた彼らの歩みに真摯(しんし)に向き合い、一つひとつ丁寧に記録しなければと、痛感させられます。
 もう一度、戦争、平和についてともに考えてみませんか。ぜひ、足をお運びください。

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目隠し鬼ごっこをするコザ孤児院の子どもたち
1945年8月

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