今月の人

地域に貢献できる青年会を目指して

253 島袋 林大(しまぶくろ きはる)さん(29)

 大きな体に満面の笑顔。今月紹介するのは、4月より市内23の青年会が加盟する沖縄市青年団協議会の第17代会長に就任した島袋林大さん。青年会は、エイサーはもちろんだが、地域貢献のために様々な活動にも取り組んでいる。今月は島袋さんに青年会の活動内容やそれにかける思い、沖縄市青年団協議会の今後の展望について話を聞いた。

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 島袋さんが地元照屋の青年会に参加したのは、中学校3年生の時。当初は、青年会の活動はエイサーだけだと思っていたが、いろいろなイベントに参加し、先輩たちとの交流の中でたくさんの経験ができ、自分自身が成長していくのを感じたそうだ。19才から3年間照屋青年会の会長として活躍し、25才の時に沖縄市青年団協議会(市青協)の副会長となり、今年の4月14日に行われた定期総会で第17代沖縄市青年団協議会の会長に就任した。
 沖縄市青年団協議会は、23の青年会が加盟しており、若さとパワーがあふれた集団である。その活動として一番知られているのはもちろんエイサーだ。今年もまた胸が躍るエイサーの季節がやってきた。各青年会は旧盆に向けエイサーを仕上げるため日夜練習に励んでおり、当日は青年会の現役やOBメンバー合わせて約2,000人余りの関係者が携わり、各地域で旧盆を盛り上げている。
 青年会の活動はエイサーがクローズアップされがちだが、本来は地元地域の自治会と一緒になって活動し、青少年の健全な育成や、地域の先輩たちと交流することで本人達も成長し、地域の活性化に貢献する役割を担っていると島袋さんは語る。その理念のもと、各青年会は地域での清掃活動や自治会対抗陸上競技大会などのイベントに参加し地域住民と交流を深め、また、深夜の街頭指導、各中学校の卒業式では駐車場の警備や式終了後の見回りを行うなど後輩達のための活動も行っている。
 沖縄市青年団協議会は、教育委員会と共催で市成人式の運営を行ったり、去年の6月から毎月発行している「市青協だより『絆』」で各青年会の地域活動を紹介したり、10代〜30代の若者を対象とした「沖縄市青年フォーラム」を年に1回開催し、沖縄市をより良くする方法を若者の視点で考え学ぶ場も設けるなど、様々な活動を積極的に行っている。
 島袋さんは、自分が青年会活動に打ち込めるのも、導いてくれた先輩や、支えてくれている後輩、家族のおかげだと語る。青年会はこの大事な人と人とのつながりを育み、自分自身が成長し勉強できる場であるので、多くの若者達が青年会活動へ参加することを願っている。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 激しく揺れた戦後沖縄。激動の時代に翻弄(ほんろう)される人々の心を慰めたものに、郷土のうた「民謡」がありました。今月は本市出身で県を代表する民謡歌手、そして「風狂(ふうきょう)の歌人」としても知られる故・嘉手苅林昌(かでかるりんしょう)さんを紹介いたします。
 1920(大正9)年、越来村(ごえくそん、現・沖縄市)仲原(なかばる)に生まれた嘉手苅さんは、1932年を芸能生活のはじめとして、特に戦後、沖縄民謡の復興に尽力した一人として活躍しました。
 三線1本抱えて世界で歌い歩き、飄々(ひょひょう)として自由奔放(じゆうほんぽう)。まさしく「風狂の」といったエピソードに事欠かない嘉手苅さんですが、独特の節回しで、庶民の心をしみじみと歌う声に「民謡の神様」という代名詞も付きました。
 県外へ向けてはばたく嘉手苅さんの様子は、ちょうど40年前、日本復帰の翌年(1973年)頃から見られます。同年5月に東京公演を行ったほか、6月には同じく東京で『あれから1年、沖縄フォーク大集会』という催(もよお)しに出演しています。これは沖縄のフォーク歌手、佐渡山豊(さどやまゆたか)さんを中心として、日本復帰一周年を迎えてなお残る沖縄の危機、虚脱(きょだつ)、焦燥(しょうそう)を訴えるものでした。
 このような場で、ただ飄々とそこに在(あ)り、素朴ないでたちで庶民のうたを歌う嘉手苅さん。聴衆はその姿から、柔軟だが不動の「沖縄」を強く感じたのではないでしょうか。
 ヒストリートUでは、今月より「嘉手苅林昌展(仮称)」を開催いたします。風狂の歌人・嘉手苅林昌さんの活躍を通して、彼が駆け抜けた時代を考えてみたいと思います。
 異文化あふれる本市において、揺るがなかった沖縄文化「民謡」の強さに、今後の沖縄市を考えるヒントがあると思ったからです。

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琉球フェスティバルにてステージに立つ嘉手苅林昌さんと息子の林次さん(昭和45年ごろ)
撮影:國吉 和夫

  • ■市史編集担当/TEL:929-4128(直通)
  • ■ヒストリート、ヒストリートU/TEL:929-2922

すてきな仲間達 110

バーミリオン ジャズオーケストラ ビッグウップス

気心の知れた仲間とジャズを演奏

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演奏好きの仲間が集うビッグウップス

 今回紹介するのは沖縄市立中央公民館で毎週水曜日にジャズの練習をしている「バーミリオン ジャズオーケストラ ビッグウップス」(平田浩(こう)代表)。
 同バンドはサックス、トランペット、トロンボーン、ギター、ベース、ピアノ、ドラムで 構成されており、メンバーは16人。ジャズでいうところのビッグバンドだ。バンド名の「バーミリオン」は、朱色の意味で「朱に交われば赤くなる」ということわざのように「自分達の演奏で、少しでも多くの人にジャズの良さを知ってもらいたい」という意味が込められており、「ビッグウップス」は、メンバー達がよくミスをすることから付け加えられたのだそうだ。バンドの結成は昭和56年で学生の頃に一緒に吹奏楽をやっていたメンバーが中心となって結成された。活動歴は30年を超えており、ジャズバンドが多い中部の中でも古いバンドである。日頃の練習の成果はコンサートを開催したり、県内のまつり、イベントなどに幅広く出演したりするなどして披露している。ぴったりと息の合った迫力ある演奏をするビッグウップスだが、メンバーは基本的に自由に演奏しており、まとめ役の平田代表は音の大小やバランスを多少調整する程度なのだそうだ。
 最近、メンバー達の前々からの念願であったレコーディングをすることが決まった。レコーディングは、これまでの活動の記念として行うもので販売する予定はないため、時間をかけて楽しみながら収録するそうだ。
 ビッグウップスには初期からのベテランメンバー以外にもバンド結成後に加わったメンバーやバンド結成時には生まれていなかった若手メンバーも在籍している。ヘルプで演奏したことがきっかけで、バンドに加わった若手メンバーの仲本さんは「自分が生まれる前からジャズをやっている人達と一緒に演奏できて光栄。親と同年齢の方々にかわいがってもらいながら練習している。追いつき、追い越す気持ちで頑張っていきたい」と話す。ベテランメンバーは「定年退職後はさらに活発に活動していきたい」「長生きして、おじいちゃんおばあちゃんになっても演奏していたい」と笑顔で話す。ジャズを生涯の趣味としているビッグウップスの演奏は、これからも県内各地のイベントで聞く事ができそうだ。

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ビッグウップスの練習風景

職人のWAZA vol.85

 今回は、沖縄市中央の一番街にあるステンドグラスアトリエ&ショップ「温(ぬくり よー)」の深瀬さんにお話を伺いました。
 この「温(ぬくりよー)」という名前は、ステンドグラスの灯(あかり)で温まって欲しいという想いを込めてつけたそうです。
 もともと、もの作りが好きだった深瀬さんは、何か手作りで温かみのあるものを作る仕事がしたいと思い色々見学に行ったところ、みんなが自由に作品を作っていたステンドグラスに魅了され、ステンドグラス作りを始めました。
 「ステンドグラスは、高価なイメージがあるが、お手頃な小物の商品などもたくさんあるので、普段の生活に取り入れてもらって、身近に感じてもらえるようにしたい」と深瀬さん。ランプやミラーなどは、インテリアとしてもおしゃれで、贈り物としても喜ばれます。また、自分で作品を作ることができるステンドグラス体験教室も開いております。ぜひ、足を運んでみて下さい♪

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事業所名:ステンドグラスアトリエ
     &Shop温(ぬくりよー)
職種:ステンドグラス製作
代表者:深瀬 愛子

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住所:沖縄市中央1-18-11F
TEL:090-5027-3058
HP:http://jaderoomthenextdoor.ti-da.net/
Open:月・火・水・土 11:00〜18:00

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