今月の人

人生を豊かにする弓道の楽しさを伝えたい

252 花城 和枝(はなしろ かずえ)さん(58)

 今月紹介するのは、去年の10月に沖縄市で初めて弓道の錬士(れんし)に合格した花城和枝さん。この錬士の昇段審査は228人が受審し、その中から八人しか合格しないほど難関だ。今月は、沖縄市弓道会会長で弓道の普及に尽力している花城さんに弓道の楽しさや今後の目標について話を聞いた。

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 花城さんが弓道を始めたのは大学時代に友人に誘われ部活に入ったことがきっかけだ。 運動が苦手であった自分にできるのか心配だったが、一本的(まと)に当たった時の快音がうれしくて夢中になったという。卒業後は、東史子(あずまふみこ)範士八段に師事し力をつけ、国体にも出場した。
 弓道は腕の力が必要で体力的にもきついスポーツのように思われがちだが、弓の強さは弓を引く人の力や経験に応じて決めることができるため、女性でも高齢者でも無理せずマイペースで始められるスポーツなのだそうだ。実際、沖縄市弓道場では50代、60代から弓道を始めた人が、楽しそうに夢中になって練習している姿をみることができる。
 弓道は、人に勝つことよりも誠意を尽くすことが求められるスポーツだ。人との戦いではなく自分自身との戦いである。ただどれだけ的に当てることができるかを競うだけではなく、体配(たいはい、立ち振る舞い)も大事な要素なのだ。弓道をすることによって、集中力がつき、心が落ち着き、礼儀作法も身に付いていく。稽古を行えば行うほど成果が出て上達していくやりがいのあるスポーツだという。
 沖縄市には素晴らしい弓道場があり、毎年市が初心者教室を開催している。その修了者の指導のため平成18年に沖縄市弓道会が発足した。花城さんはその会長として弓道の普及に尽力している。
 花城さんは、去年の10月に広島県で行われた錬士の昇段審査に見事合格した。本市では初めての快挙である。錬士は県内でも十数人しかおらず、その上の称号を持っている人となるとわずか数人しかいない。今後は、錬士になったことで、後輩に注目されていることを念頭におき、自身の技を磨き、必要に応じて手本を示すことができる力を身に付けていきたいと考えている。いつかは全日本選手権へ出場するという夢に向かって日々練習を重ね、また、後輩を育て指導者育成にも力を入れ弓道人口を増やしていきたいと考えている。多くの人が弓道に出会い、楽しみのある暮らしを送ってほしいと望んでいる。みなさんも生活の中に弓道を取り入れてみませんか。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 ヒストリートUで、4月から今月にかけて企画展「石川文洋写真/沖縄からベトナムへ」を開催しています。今回は報道写真家の石川氏から提供いただいた写真の中から、ベトナム戦争中の沖縄とベトナムの写真59点を展示。在沖米軍基地が国外での戦争にどう関わっていたのかを、改めて考えたいと思います。
 戦争が始まると、沖縄駐留の第3海兵師団や陸軍空挺旅団などが相次いでベトナムへ移動。そして嘉手納基地から発進したB52戦略爆撃機がベトナムを爆撃するなど、沖縄の米軍基地はベトナム戦争のためにフル回転し始めます。
 写真の那覇軍港は、後方支援基地として54万9500人(米軍最大兵力)の軍需物資をベトナムへ送り続けたほか、ベトナムで破壊されたり、現地で修理不能な軍用車両が同港に運び込まれ、牧港補給地区で修理された後、再びベトナムへ転送しました。
 このように、ベトナム戦争において在沖米軍基地は作戦・発進、兵站補給、訓練、輸送中継、通信などに諸機能を発揮。米軍は朝鮮戦争に続いて、ベトナム戦争でも沖縄基地の有する戦略的・戦術的価値の重要さを強調したのでした。
 現在でもその論理によって、沖縄は過重な基地負担が続いています。

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那覇軍港に運び込まれた損傷した戦車群。1969年

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