今月の人

沖縄市が活性化するための手助けを

245. 田中 智枝子(ちえこ)さん(54)

田中 智枝子(ちえこ)さん

今月は、五月に沖縄市女性団体連絡協議会の会長に就任した田中智枝子さんを紹介する。同協議会は、市内十六の女性団体が集い、女性の地位向上に向け講演会や学習会を開催したり、市内や他市町村女性団体との交流会、支援活動等を行っている。自身も沖縄商工会議所女性会のメンバーとして長年本市の活性化に尽力してきた田中さんに、今後の活動と抱負について話を聞いた。

沖縄市女性団体連絡協議会は、市内で活動している沖縄市婦人連合会や沖縄市赤十字奉仕団など十六の団体が集い、女性の地位向上に向けて活動している協議会である。その新会長に就任した田中さんは、加入団体の一つである沖縄商工会議所女性会のメンバーとして本市の活性化に尽力してきた。

田中さんは、沖縄市諸見里出身。学生時代も沖縄で過ごしていたが、結婚後家族とともに県外にわたり十数年間そこで生活をする。その後、平成四年に沖縄に戻り、平成十三年からは生まれ故郷である本市諸見里に帰ってきた。それからは、沖縄市の活性化に協力すべくいろいろな活動を行っている。

沖縄市女性団体連絡協議会では、女性の地位向上のために講演会や勉強会を行って知識を深めているが、実は女性だけのことを考えているのではなく、男女が協力しあってより良い社会を作っていこうとするのが目標だ。そのためには、女性自身の資質向上や、男女相互の理解を深めることが大事だと考えている。そのために毎年一回「きらめきフェスタ」を開催し、男女だけではなく、人それぞれが互いに歩みより支えあえる社会を創っていこうと、市民へアピールしている。

田中さんに沖縄市女性団体連絡協議会について聞いてみると「女団協は、みんなそれぞれの団体でチャリティーやボランティア活動等を行い、自分たちの活動もしながら、女団協として団結して沖縄市が元気になるための明るい社会を目指して活動している。これからもその結束力を生かしていきたい。こんな大きな団体のメンバーが協力しあっていることは、沖縄市にとっても大きな財産だと思う。」と語ってくれた。また「女団協の先輩たちは、みな向上心があり熱意もあってとても尊敬できる方ばかり。自分も先輩たちに負けぬよう沖縄市のために頑張っていきたい」とも語ってくれた。

これからも本市のために活動してくれる田中さん。実は二十歳の時に、ミスハイビスカスを務めてたそうだ。その頃から沖縄市へ貢献してくれていたとは、なんとも頼もしい限りだ。

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

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現在、ヒストリートIIでは復帰四十周年企画展を開催しています。

一九七二(昭和四七)年五月十五日の本土復帰に伴い、同年十一月には復帰記念植樹祭が、その翌年の一九七三年には若夏国体(沖縄特別国民体育大会)、三年後の一九七五年には海洋博(沖縄国際海洋博覧会)等、沖縄では様々な復帰記念事業が行われました。

その中から今回は「若夏国体」を紹介します。

沖縄が本土に復帰した翌年の一九七三(昭和四八)年五月三〜六日にかけて、復帰記念事業の一環として「若夏国体」と名付けられた沖縄特別国民体育大会が行われました。若夏国体は通常の国体とは違い、全国の予選は行わず、各都道府県に種目と人数を割り振って選考したミニ国体であり、「強く・明るく・新しく」をテーマに十市一町で開催されました。開催に伴い、沖縄県を挙げて体育施設の充実や選手の強化がはかられ、コザ市(現、沖縄市)では、会場として市営体育館・市営球場・陸上競技場が整備され、また、国道58号からコザ市総合運動場(現、沖縄市コザ運動公園)を結ぶ国体道路(現、やまなか通り)も開通しました。

左の写真は、コザ市が国体開会前日に行った若夏国体市民大パレード(山里)の様子です。市民一〇〇〇人が参加したこのパレード、そこには沖縄にとっては初めてとなる全国規模の体育大会への成功と期待、そして、屋良朝苗知事が開会式で「沖縄県の発展と平和を願って開催される」と述べたように、沖縄の未来への強い思いが込められているのではないでしょうか。

若夏国体シンボルマーク

市民大パレード(山里)の様子

▲若夏国体シンボルマーク(左)と、市民大パレード(山里)の様子(右)