市の吹奏楽団が集結

第一回 沖縄市吹奏楽フェスティバル

 沖縄市の小学校、中学校、高等学校、一般団体が一堂に会し吹奏楽を披露する「沖縄市吹奏楽フェスティバル」(沖縄市主催)が三月十一日に、沖縄市民会館大・中ホール及び中ホール前広場を会場に開催された。

管楽器カラオケでのトロンボーン吹奏 美里中学校の演奏
▲管楽器カラオケでのトロンボーン吹奏 ▲美里中学校の演奏

フィナーレは出演者全員による大演奏
▲フィナーレは出演者全員による大演奏

 同フェスティバルには十四校と二団体が出演し、大ホールでは吹奏楽、中ホールではアンサンブル、中ホール前広場では管楽器カラオケの演奏が披露された。沖縄市全域から集まった吹奏楽団が次々と披露する豊富なプログラムで会場は吹奏楽一色に染まり、出演者、来場者ともに一日中吹奏楽を楽しんだ。

エコな物作り

海邦自治会てぃーがんまらー会

お互いが教え合って物作りをしている海邦自治会てぃーがんまらー会
▲お互いが教え合って物作りをしている海邦自治会てぃーがんまらー会

 布ぞうりを中心に小物作りを行っている「海邦自治会てぃーがんまらー会」。布ぞうりは履き心地が良く、材料に古着を使用していることからエコでもあり、同会が出店する沖縄市産業まつりでも好評だ。布ぞうりは古着を細く切り、それを縫い合わせた物をロープの土台に編み込んで作る。美里工業高校の教員に制作してもらっている編み機は改良を重ねており、使いやすさの向上と小型化が図られている。市の各自治会では住民が誇れる一品づくりを進める一区一品活動に取り組んでおり、海邦自治会は活動資金が無かったため材料費のかからない布ぞうり作りを始めたのだが、小物作りの知識を持つメンバーが集まり他の物も作るようになった。代表は「ボケ防止でやっている」と話す九十三歳の金城睦明さん。金城さんはアダンの葉を使用したぞうりや、オーダー(昔の農家が使っていた肩にかけて農作物などを運ぶ道具)、わらぼうきなども作っている。

こどもと育児を支援

こどものまち推進部発足

こどものまち推進部発足

 こどもや子育てを支援するため、迅速かつ的確に、きめ細やかなサービスを一体的・総合的に提供することを目的に、平成二十四年度より新たに設置された「こどものまち推進部」の発足式が四月二日に沖縄市役所で行われた。式で同部の源河部長は「こどもは宝という理念のもと、こども達の立場に立って仕事を進めていきたい。職員はチームワークを大切にし、知恵を出し合って協力してほしい。一日一日みんなで頑張っていきましょう」と抱負を述べた。こどものまち推進部は「こども企画課」「保育・幼稚園課」「こども家庭課」「こども相談・健康課」の四課で構成されている。

楽しく 科学を学ぶスペシャル講演会

講演はこども達と実験を行いながら進められ
▲講演はこども達と実験を行いながら進められ

 沖縄こどもの国動物センターで二月二十五日に日本科学技術振興財団理事長の有馬朗人氏を講師にスペシャル講演会が行われた。
 講演では、こども達が興味を持つよう実験や笑いを織り交ぜながら静電気・磁石の発見や歴史の偉人達について語られた。講演の最後には、科学に夢中で実験を繰り返していた有馬氏のこども時代と、物理学者になるきっかけとなった本が紹介され「大いに本を読んでください」と締めくくられた。第二部では親子工作教室が開かれ、LEDライトの制作が行われた。参加者は親子で協力して取り組み、出来上がったライトが光ると笑顔を見せた。
 物理学者で科学技術庁長官も務めた有馬氏は八十二歳になる現在でも国内外で活躍している。講演は大人気で市内の小学生親子五十組の募集に対し、百十七組の応募があり、急遽七十組に増やして行われた。

まちづくりの意見報告

100人委員会生涯学習のまちづくり部会

まちづくりの意見報告

 沖縄市活性化100人委員会沖縄市生涯学習のまちづくり部会の意見報告会が三月二十一日に沖縄市役所で行われた。
 意見報告会では平成二十三年十月から平成二十四年二月までの間に九回開かれた同部会で委員から出された意見をまとめた報告書が眞榮城玄昌委員長から東門市長に提出され、委員と東門市長が意見交換した。宮里部会長は「沖縄市は独特の文化と歴史を有し市民も個性的。沖縄市らしいちゃんぷるー文化の生涯学習ができたらいい」と話し、東門市長は「部会には二十代から七十代と幅広い世代が参加され、それぞれの立場から様々な意見を出して頂き皆様が沖縄市の未来を考えていることが感じられた。今回の意見をしっかり受け止め、市民が学びたいと思い続けられるまちづくりを行っていきたい」と述べた。

孤児たちの冥福を祈り

コザ孤児院慰霊祭

 戦時中コザ孤児院(現:住吉公園付近)で亡くなった戦争孤児の冥福を祈るため、三月二十六日に沖縄市納骨堂で、沖縄戦で親を失いコザ孤児院に入所していた二十数名の人や関係者が参加し、慰霊祭が行われた。
 コザ孤児院は、一九四五年の五月に米軍が、戦場で親兄弟と離ればなれになった子供を集め、民家を利用して孤児院を始めたのが最初であり、七月には八百人の孤児たちがいたといわれている。その後、親戚や里親に引き取られ徐々にその数は減っていったものの、その中には砲弾による怪我、衰弱や病気などで幼い命が消えていくこともあった。その亡くなった孤児たちは現在沖縄市納骨堂にまつられている。
 沖縄市市史編集担当では、孤児院で暮らしていた方々と情報を交換し、戦争の記録を次代に残そうと二〇一〇年に第一回の慰霊祭を開催し、今回が二回目の開催となる。慰霊祭の後、参加者はコザ孤児院の企画展をしている沖縄市戦後文化資料展示「ヒストリートU」や家主の意向で現在も保存されている旧コザ孤児院を訪問した。

児たちの冥福を祈る参加者 パルミラ通りにある「ヒストリートU」では写真展も行われた
▲児たちの冥福を祈る参加者 ▲パルミラ通りにある「ヒストリートU」では写真展も行われた