今月の人

最年少BMXプロライダー

235. 漢那 史哉さん(19)

山田 七海さん

 小型自転車を自在に操り、様々な技を競い合うBMX競技の最年少プロライダーが沖縄市にいる。漢那史哉(かんなふみや)さんが、その人だ。高校生の時に全日本の大会に初めて出場し、その大会で見事、優勝し最年少でプロになった。県内のBMXプロライダーは漢那さんを含め二人しかいない。今月は漢那さんにBMX競技のおもしろさや今後の目標などについて話を聞いた。

 漢那さんがBMX競技に出会ったのは中学校一年生の時、北谷町美浜で行われていたBMXのショウを偶然見たのが最初である。その、BMXのかっこよさに衝撃を受け、二歳上の従兄弟と一緒に自己流で練習を始める。だが、まだ真剣な練習ではなく、みんなで楽しく自転車に乗って遊んでいる感覚であった。高校生になり、県外のプロライダーやレベルの高いライダーのライディングを見ているうちに、自分ももっと上手くなりたい、いろんな技をやってみたい、という気持ちが強くなり本格的に練習を始める。

 BMX競技用の自転車は、普通の自転車と違いバランスが取りにくく、自転車をうまく扱えるようになるまでに時間がかかる。漢那さんも毎日何時間も練習した。もちろん、失敗して転び切り傷や打撲も絶えなかったが、乗る楽しさの方が勝っていたとのこと。高校三年生の時に神戸で行われた全日本の大会に初めて出場し見事七十人中一位となる。全日本の大会で優勝するとプロに上がることができるため、そのまま十八歳で最年少のBMXプロライダーとなった。

 漢那さんにBMXの魅力を尋ねると、まだまだオリジナルの技を自分で作っていける可能性があるところだと答えてくれた。基本の技はあるのだが、その技も一人ひとり個性があり違うものに見えるところも魅力の一つとのこと。自転車のペダルをこがずに体のひねりだけで自転車本体をクルクル回すなど、まるで自転車とダンスをしているかのようなアクロバティックな動きは見ている人を興奮させる。この素早い動きとバランスを維持するためには、毎日の練習が大事で二、三日も間隔をあけると感覚が鈍ってしまうそうだ。今は仕事も忙しいので、練習時間を確保するのが厳しく、睡眠時間を削って練習している。忙しい毎日だが、BMXの楽しさと仲間との強い連帯感で充実した日々を過ごしている。

 十二月十一日に那覇市の国際通りを歩行者天国にしたトランジットモールで一時からBMXの大会が行われる。漢那さんも出場予定だ。体験のコーナーもあるので、興味のある方は参加してみては。

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

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「1日も早く安心して勉強できるようにしてほしい」と訴える北美小の生徒
▲「1日も早く安心して勉強できるようにしてほしい」と訴える北美小の生徒

 毒ガス移送から40周年を記念し、先月19日からヒストリートUにおいて、企画展「毒ガスが走った街 1971」が開催されています(来年1月29日まで)。

 写真は1970年12月19日、美里中学校で開催された「毒ガス即時完全撤去を要求する県民大会」の1コマ。毒ガス貯蔵が発覚してから1年半も経った同月5日に米軍は移送先(ジョンストン島)、続いて11日に移送経路等を示したレッド・ハット作戦を発表します。しかし、この計画は安全対策について具体的な説明がなく、また初回の撤去量もわずかだったため、県民は猛反発。毒ガスの全面撤去を求めて大会が開催されることになりました。

 当日、地元の美里村は住民を最大動員。会場には子どもをおぶった主婦の姿も見えました。移送路にあたる北美小学校区の父兄や学校職員は赤ハチマキをしめ「安全対策、移送路の変更」を訴えて抗議のプラカードや横断幕を掲げ、また同校・生徒会の「いたましいことがおこらないように」と書いたプラカードが目をひきました。

 大会では米軍の移送計画に強い不安と怒りを表明し、「毒ガス兵器の即時完全撤去」「一切の軍事基地の撤去」などを決議。

 翌71年、いよいよ毒ガス移送が始まります。