今月の人

小さな時から身についてたボランティア精神

229. 嘉手川 満子さん (75)

 これまでの人生の大半をPTA活動、民生委員・児童委員活動、市の婦人連合会活動とさまざまな活動に身を投じていた方がいる。嘉手川満子さんがその人だ。
 現在は照屋自治会で「てぃらぬ会」に参加し、孤独死を地域で連携して防ぐため、高齢者に防犯ブザーを所持してもらう「SOS緊急ブザー」の推進に力を注いでいる。嘉手川さんにボランティア活動についての思いを聞いた。

 嘉手川さんに、いつからボランティア活動をと問いかけると「もう小さな時から身についてたみたいよ」との答えが返ってきた。学生のころから学校で炊き出しがあると率先して参加し、同級生が集まればいつも仕切り役をかって出ていた。青年会にも参加し、子どもが生まれると、PTA活動にも参加する。六人の子供の一番上の子が幼稚園の時から下の子が高校を卒業するまでの約三十年間PTA役員を行い、市のPTA副会長、県の理事まで務めていた。
 また、四十歳の時に民生委員児童委員になり、去年定年を迎えるまでの約三十五年間地域のために活動を行ってきた。
 その民生委員が、平成十九年に民生委員制度創設九十周年記念事業として全国で「民生委員・児童委員発 災害時一人も見逃さない運動」に取り組み始めたすぐ後、能登半島地震、新潟県中越沖地震が起き、民生委員による安否確認行動が地域住民の安全確保に貢献したのを受け、沖縄市でも災害弱者を支援していこうとする動きが強まった。その流れを受け、照屋自治会ではいち早く、独自の災害対策マップの作成や、福祉ボランティア団体「てぃらぬ会」を立ち上げる。
 「てぃらぬ会」では、独居老人の孤独死を防ごうと市社会福祉協議会の「ひとり暮らし高齢者SOS対策モデル事業」の実施地区として、一人暮らしの高齢者に防犯ブザーを所持してもらい、緊急時にはブザーを鳴らして助けを求め、それを聞いた近隣の住民が消防への通報を行うという、地域の住民の協力がなければ成り立たない活動を行っている。現在嘉手川さんが担当しているケースは十三人。一人一人の状況を月一回、定例会にて報告し、情報を共有している。本来であれば他の担当者の割り当て地区であるが、嘉手川さんに担当してほしいという方もいるとのこと。
 嘉手川さんにとってボランティア活動は特別なことではなく当たり前に生活の一部であるようだ。
 そんな心優しい嘉手川さん、さぞお孫さんにも優しいおばあちゃんかと思いきや、「厳しいことも言うわよ。親が甘いからね」と笑った。

▲ページトップへ

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート


▲銃弾の痕が残るトラ ックの窓(那覇軍港 1969年)

市史編集担当/TEL:929-4128
ヒストリート、ヒストリートU/TEL:929-2922

 今月の二日から「ベトナム戦争と沖縄」をテーマに展示が始まります。石川文洋氏は報道カメラマンとしてベトナム戦争を撮影している時、沖縄戦と重ね合わせ、シャッターを切っていたと話していました。
 今月紹介する一枚は、ベトナムの戦場で傷つき、銃弾のあとが残るトラックです。一九六八年の新聞には「弾痕も生々しく/ベトナムから多量の軍車両/民間会社にも委託、修理」とあります(琉球新報六月一日)。ベトナムからの破損車両は那覇軍港で陸揚げされ、各軍部隊の修理工場へ運ばれますが、とうてい賄いきれず、中部の民間工場でも受け入れることになり、コザ市の工場では最優先で修理にあたっていたようです。当時、市内には八軒の工場と百十三人の従業員が雇用されていました。 基地あるがゆえに、民間側も様々なかたちで後方支援としての役目を負わされますが、同時にベトナム景気の恩恵を多分に受け、基地経済に頼らざるをえない「基地の町」としての現実もありました。
 今年はベトナム戦争の終結から三六年、沖縄戦の終結から六六年になります。沖縄がどのような歴史を歩んできたのか、ベトナム戦争時のベトナムと沖縄の写真とを重ね合わせてみることで、今の沖縄を考える機会になることと思います。ぜひ、足をお運び下さい。

▲ページトップへ