今月の人

ボランティア活動は生活の一部

227. 上江洲 恵美さん (68)

 仲間と共にボランティアグループを立ち上げ、十七年間も活動を続けている人がいる。「ふくぎの会」の上江洲恵美さんだ。現在、足を悪くしてしまい、以前のように自由に歩くことができないが、ボランティア活動への意欲は一向に衰えない。上江洲さんを魅了するふくぎの会の活動や、上江洲さんとともに歩む会員たちとの絆について聞いてみた。

 上江洲さんがボランティア活動に関わるきっかけになったのは、平成五年に沖縄市働く婦人の家で開催された老人介護講習会への参加だった。当時、上江洲さんの母親がリウマチを患って寝込んだため、「そろそろ自分も親の介護をする年齢になった」と思い、介護技術を学ぼうと講習会へ参加した。その時一緒に受講した仲間とともに立ち上げたのがボランティアサークル「ふくぎの会」だった。
 結成したふくぎの会はさっそく行動を始める。研修を修了したばかりの素人の集団を快く受け入れてくれたのが老人ホーム一条園だった。以後、一条園との付き合いは現在まで続く。当初はベッドメイクや車椅子洗いなどを手伝っていたが、途中から入所者のための喫茶コーナーの運営を任された。月に2回、美味しいコーヒーやお茶、ひらやーちー、ホットケーキを入所者にふるまう。入所者たちが心待ちにする憩いの時間だ。「お年寄りたちの喜ぶ顔が活動を続ける励みです」と上江洲さんは話す。
 もちろんふくぎの会の活動はそれだけではない。ほかにも新垣病院やいなほ苑で入院患者らと合唱を楽しんだり、社協や市役所主催の福祉関係イベントへの参加や、地域支援センター利用者のための料理講習会を手伝う活動などを行っている。会員たちが、「上江洲さんがあの笑顔で優しく呼びかけるものだから、あの笑顔に会いたくてついついこんなに長く続けてしまった」と笑うと、上江洲さんは「私にとってもふくぎの会のメンバーと会うことが一番の楽しみで、みんなに会いたくて一生懸命やっていたらいつの間にか十七年も経ってしまっていたんです」と飛びきりの笑顔を見せた。昨年十月、ふくぎの会は長年にわたる活動が評価され、第五十三回県社会福祉大会で県知事表彰を受けた。
 上江洲さんにとってふくぎの会は?と問いかけてみると「生活の一部です」と答えが返ってきた。「私の一番の財産である仲間に出会えた場所がふくぎの会。これからも長く続けたい。会員も高齢化してきたので、若返りを図るため現在、新会員を募集中です。」と、あの魅力的な笑顔で茶目っけたっぷりに呼びかけた。

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▼戦後文化シアター 今月のヒストリート


▲林助さんが製作した四味線。
  低音の音域を広げるために
  絃を4本にしてある。

市史編集担当/929-4128
ヒストリート/929-2922

 ドルや世界の銭加那志やたしが あったに値打ちの ひっ下がってぃねーらんで ドルドルドンてぃば ドルドルドン・・・   「てるりん」こと照屋林助さんの作品「どるどるどん」の一節です。
 軽妙な表現の中に、人間や世の中の多面性を描き出し、人の世の苦しみや悲しみを笑いによって救済してしまうのが、彼の歌の特徴でした。
 ラジオ全盛期には「ワタブー」というニックネームで漫談家として大活躍。ラジオから流れる彼の漫談にひとり「イヒー、アハー」した覚えがある方も多いのではないでしょうか。
 脚本・歌詞などの作家としてだけではなく、1956年6月8日付けの沖縄タイムスには林助さんが二年かがりで研究を重ねて島産ギターを製作、日本製では満足しない米兵たちの人気を呼び、注文が殺到したという記事があります。
 また60年1月5日付けの記事には、市内山里にあった琉球国際短期大学で民俗学を学ぶ林助さんが紹介されています。
 ヒストリートUでは、4月2日から「てるりん展」を開催し、彼の手書きの脚本や手作りの道具などを展示します。戦後、沖縄の人々に元気を与えてきた「てるりん」が残した資料(発想)は、今後の沖縄を考える上でもヒントになるかもしれませんね。

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