今月の人

戦争の恐ろしさや平和の大切さを次代に伝えたい

224. 仲本 とみさん(84)

 ひめゆり看護隊の一員として沖縄戦を経験し、その体験を綴った手記を本にまとめた人がいる。本市の元教育委員の仲本とみさんだ。仲本さんはこれまでも語り部として各地で戦争体験を話してきたが、これからの人々に、『昔この島でこんなことがあった』と伝えるために体験を文章で残しておこうと出版したという。今月は仲本さんが、著書「ひめゆり看護隊の日記」に込めた思いなど聞いてみた。

 仲本さんが従軍するよう招集を受けたのは師範学校卒業式の前日、昭和二十年三月、十九歳のことだった。その日から仲本さんはそれまでの平和で楽しかった学校生活から一転、「ひめゆり」の一員として暗黒の戦争に巻き込まれて行く。共に従軍した同級生二百人中、実に百二十人が戦死するという筆舌に尽くせない壮絶な体験をしたのだ―。
 戦後、ひめゆり資料館が作られると、資料館から当時の手記を書いてほしいという依頼が来るようになった。テーマを絞った原稿用紙二〜三枚程度の短い手記。これくらいなら、と一度書いたら、今度は別のテーマで書いてほしいと依頼された。こうやって様々な角度から自身の経験した沖縄戦を洗いざらい手記に書き記すうちに五十年が経ち手元には膨大な原稿が残った。今回出版した「ひめゆり看護隊の記録」はそれらの手記を体系的にまとめ上げた労作だ。「この本に書いた沖縄戦はあくまで私の経験した戦争。一人ひとりに違った戦争があった。個人的な経験でも沖縄戦の一端。戦争になるとこんなに悲しい思いをすることを伝えたかった」と仲本さん。自費出版で六百冊作ったこの本はひめゆり関係者や遺族に配ったほか、学校や図書館などに寄贈した。仲本さんはこう話す。「これから先、体力的に思うようにお話をすることが出来なくなるかもしれない。でも文字に残しておけば私や友人が体験したことは風化することがない。私が常に思ってきたことは『平和は足元から』という言葉。学校の先生方が平和学習の補助教材としてこの本を使って、今ある平和の素晴らしさをこどもたちに伝えてほしいです」。
 ライフワークの一つである戦争体験記をまとめた仲本さんだが、もう一つ大きな課題があるという。教員時代に関わった風疹児教育の記録をまとめてほしいとの声が関係者から集まっているのだ。「沖縄だけに、あの時期だけにしかなかった風疹児学校。教育の記録やこどもたちからもらった勇気や希望、感動を書きたいと思っています」と話した。「八十四歳になったけど、まだまだやることがたくさんありますよ。」と顔を上げ笑顔を見せた。

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▲「FOR SALE(大売り出し)!」民衆の皮肉。
  (照屋恒誠 氏提供)

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 2011(平成23)年の幕開けです。新年明けましておめでとうございます。
 今月は、旧年12月18日より開催中の企画展「あれから40年―コザ12・20―」から、話題をお届けします。
 1970年、年末のコザ市で起きた反米騒動は(概要は先月号)、「シタイヒャー(いいぞ)!」「ユーシッタイ(ざまあみろ)!」などの声と共に民衆の圧倒的な支持を得ましたが、後にその余波は、市民の新たな苦悩を生み出す種になってしまいました。
 騒動翌日に発表されたランパート高等弁務官の声明では「暴動」という言葉が強調され、それら「全くの破壊行為」が毒ガス撤去や復帰交渉の妨げになるとして、騒動の責任を民衆に転嫁しようとした発言がなされました。さらに、一種の経済封鎖とも言えるオフ・リミッツや、急きょ発表された3000人規模の軍雇用員大量解雇など、米軍による報復措置が次々と市民を締め付けていったのです。
 しかしながら、四半世紀にわたる米軍政下で様々な不満を募らせ、騒動に加わった人たちの証言からは、後悔の念などは感じられませんでした。理性を無くした暴動でも単なるお祭り騒ぎでもなく、怒れるウチナーンチュの意思を米軍に対して直接示せた事に、喜びを感じている様子でした。
 あなたは、40年前に示されたこれらの意思を、今どのように受け止めますか。開催中の企画展「あれから40年―コザ12・20―」は、今月も引き続き開催しております。ぜひご来室下さい。

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