語り続けよう平和への鼓動

市民みんなで作り上げた、手づくりの構成劇「りゅう子の白い旗」が上演された平成八年の平和月間を振り返り、平和について、あらためて考えてみたい。

小さなアクションから大きな世界の平和へ

(おきなわ発・平和トライアングル'92)は沖縄市から生きた平和学習の一環として親子平和大使を広島・長崎に派遣して、現地での交流や平和に対する研修を通して生命の大切さ平和の尊さを学び、市民サイドから平和のうねりを外に向かって沖縄市より発信させていくことを目的として始まりました。

▲世界の平和を祈り黙祷をささげる平和大使ら

▲真剣なまなざしで各使節たちの報告を聞く

過去の過ちを二度と繰り返してはいけない

私たちは武器を持たぬ歴史を歩みながら、基地がある故にこそ、憲法の持つ平和主義とりねんを認識し、平和の地球を実現する発信地として自覚しなければならない。平和月間を基点に戦争の惨めさの記憶をつなぎながら、生命の尊厳と平和の尊さが不断の努力と行動によって実現することを認識し、全国へ、世界にそして次の世代に平和な地球を引き継いでいく努力をしよう―。戦後六十五年の今、あの忌まわしい沖縄戦を二度と繰り返さないとする固い決意のもとに、毎年平和月間を迎えている。今月号は、市民みんなが立ち上がり、市民みんなで作り上げた、手づくりの構成劇「りゅう子の白い旗」(原作・新川明、脚色・今秀子)が上演された平成八年の平和月間を振り返り、平和について、あらためて考えてみたい。
 同年の平和月間は「おきなわ発・平和トライアングル96親子平和大使」として八組の親子が被爆地長崎市を訪れた。 ここで、当時の親子平和大使の一人、金城洋子さん(主婦)の感想文を要約して紹介する。
 八月九日、長崎市、照りつける太陽、微風さえなく、木の葉ひとつ動かない。背中を伝う汗。蝉時雨がさらに暑さをかきたてる。午前十一時二分。空はあくまでも青く、雲はあくまでも白く、太陽はまぶしく輝いている。
 五十一年前のあの朝・・・突然、雲間よりに現れたB29カメラのフラッシュを百個を同時に目の前で焚かれたような(被爆者の話)閃光と七千℃の熱線と爆風が一瞬にして七万人余の命を消し去った。たった一つのきのこ雲が子も、母も、父も、娘さんも、若者も、老人も、わが家も、学校も境界も、森も、川も、草木も、すべてを消し去ってしまった。 残されたものは、ねじれた校舎の鉄筋、水を求めて川に浮かぶ亡骸、溶けたロザリオ、十一時二分で止まった時計。放射能に焼きつくされた焼土。
 長崎に着いた日、最初に訪れた原爆ホーム「恵みの丘」で被爆者の方々歌ってくださった「千羽鶴」のあの澄み切った美しい歌声が心に浮かぶ。五十年の歳月は「今後七十年間、如何なる生物も育たないだろう」と言われた長崎の町を見事に近代的な都市へと復興させた。けれど、年月がたっても決していやされることのない深い深い悲しみがそこにはあった。「身体のケアよりも心のケアのほうが大変なんですよ。今でもまだあの時のことは言葉にできない方もいらっしゃるんです」の職員の言葉に長崎もまた、いまだに癒えぬ戦争の傷痕を抱え続けている町であることを実感する。 終戦五年後の沖縄に生まれ、戦争の悲惨な体験話を聞くことも、米軍基地による被害も、反戦平和のデモも、ごく当たり前の生活の一部として育ってきた。
 だが、義務としてではなく、手段としてではなく、私自身の中に自ずと湧き出づる感情から「平和」を考えたことがはたして幾度あったろう。今回、平和大使として長崎を訪問したことで、人間を押し消すのも、人の命を虫けらのように扱う(たとえ虫けらの命でもたやすく扱っていいはずはないが"戦争"というものに、今さらながら激しい憤りを感じている。「真の平和とは」と問う娘に私はどう答えるのか。「それは、単に争いをしないことではなく、もちろん、衣食住に不自由しないということだけでもなく、一人ひとりが最もその人らしく生きられること、それが当たり前の事として、ごく自然にできる世の中になること。そしてそれは国家や民族や宗教の垣根を乗り越えて、すべての生命に愛しむ心から生まれるもの」娘よ、沖縄が真に平和になるためには、生きとし生きるものを大切に育む人々の心の輪を幾重にも幾重にも広げていくことだと母は思う。そして、それは長崎や広島や戦争を経験した世界中の人々と、共に手を取り合って歩むことである。だが、一方では、沖縄の歴史が語っているように内なる差別との孤独な戦いでもあることをあなたはすでに感じ取っているだろう。・・・・・・・・

 長い引用になってしまったがどうだろう。素直な気持ちで、平和について書かれた文章である。そして、その思いが文面から伝わってくる。母から娘へ、お年寄りから若者へ戦争の悲惨さ、平和の尊さは語り継いでいかなければならない。

▲平和を誓い原爆犠牲者慰霊灯ろう流しへ参加する平和大使ら

▲防毒面を形どった面をつけ、毒ガス移送に抗議する各民主団体(ライトアップ1970年展から)

戦争と平和は共存できない勇気を持って訴えよう

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