語り続けよう平和への鼓動

平和学習で学んだ事は、戦争は絶対にやってはいけない。家族に親に人間として感謝の気持ちを持つこと、きらいな戦争の話と向き合って語り継いでいきたい、などの感想が聞かれた。子どもたちにとって有意義な平和学習となった。

戦争の悲惨さ平和の大切さを語り継ぐ

 戦後六十五年を経た今も世界のどこかで戦争が行われている。平和を願う「慰霊の日」の前日、安慶田小学校で平和学習会が行われた。これは昨年の学習会の模様だが、今回、平和についての特集を組む機会があり、あえて掲載することにした。
 平和学習は二度と悲惨な戦争を起こさないために太平洋戦争を経験された地域の先輩方に平和のありがたさ、戦争の悲惨さを語ってもらい、子どもたちに語り継いでいってほしいとの思いで企画されている。
 この日の戦争体験者講話は安慶田老人クラブの宝寿会(和宇慶朝太会長)の平良光彦さん、佐竹道宏さん、雛世志子さん、糸数エイ子さん、幸地清祐さん、和宇慶朝太さん、池宮城秀一さんの七人の方々が各学年で行った。平良さんは満州・中国での体験を、雛さんは広島での被災体験を、和宇慶さんはサイパン島での小学二年生の頃の戦争体験などを、それぞれが当時を振り返りながら、子どもたちに話しかけるように語った。
 子どもたちは「戦争はとてもこわい、悲しいと思った」「平和は本当にいいな。恐ろしい戦争は消えればいい」「戦争のない平和な世界になってほしい」などと感想を話していた。
 分かりやすい言葉で、ていねいに話す講話に子どもたちは平和の大切さを身にしみて感じているようだった。
 地域が同学校の平和集会に取り組んで五回目。平和集会では事前に「原爆と戦争」パネル展や広島、長崎の被爆写真展、峠三吉さんの原爆詩集、全国への空襲と体験者の講和パネルなどからも平和について学んだ。
 一九四一年に始まった太平洋戦争において、沖縄は住民を巻き込んだ激しい地上戦の舞台となり多くの尊い命とともに貴重な文化遺産が失われた。
 戦後六十五年を経て、多くの人々が新たな戦争の危機や社会の荒廃の心を痛め、平和で豊かな世界を望んでいる中で、体験にもとづいて戦争の真実をあきらかにし、子どもたちや若い世代に語り継ぐことが、今も、永遠に求められている。

「市民平和の日」の制定は、平成五年の七月に沖縄市平和行政推進委員会(委員長 山城清輝)からの答申を受けて、三月議会に「沖縄市民平和の日を定める条例」として提案。
 条例の目的は、「全てものを破壊する戦争を繰り返さないとする市民の総意に基づき、全ての人が等しく平和で豊かな生活がおくれる街づくり」を目的とするものです。
 三月一日に開催された第一七一回市議会定例会(議長 屋我平和)は、提案されたこの条例を総務委員会(委員長 桑江常光)に審査を付託し、三月二十五日の本会議で賛成多数で可決しました。

▲沖縄戦降伏調印式(1945年9月7日 越来村森根)

地域の方々が体験談を語る

'09安慶田小学校で平和学習

「全てものを破壊する戦争を繰り返さないとする市民の総意に基づき、全ての人が等しく平和で豊かな生活がおくれる街づくり」を私達は望む。

▲平良光彦さん

▲佐竹道宏さん

▲幸地清祐さん

▲池宮城秀一さん

▲糸数エイ子さん

▲雛世志子さん

▲和宇慶朝太さん

 

沖縄市民の平和の日を定める条例

[平成五年四月一条例第十八号]

(目 的)
第一条
この条例は、国内で唯一地上戦が行われた第二次世界大戦の教訓とそれに続く施政権分離下の生活体験を踏まえ、すべてのものを破壊する戦争を繰り返さないとする市民の総意に基づき、日本国憲法と「核兵器廃絶平和都市宣言」の理念の下に、すべての人が等しく平和で豊かな生活がおくれるまちづくりを進めるために、沖縄市民平和の日を定めることを目的とする。

(市民平和の日)
第二条
沖縄市民平和の日は、九月七日とする。

(記念行事等)
第三条
沖縄市は、沖縄市民平和の日に、記念行事を行う。

二沖縄市は、平和の尊さを広めるため平和月間を設けることができる。

(委 任)
第四条
この条例の施行に関し必要な事項は、市長が別に定める。

附則
この条例は、公布の日から施行する。

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